彼自身によるロベール・ブレッソン インタビュー 1943–1983 書評|ミレーヌ・ブレッソン(法政大学出版局)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月18日 / 新聞掲載日:2019年6月14日(第3293号)

彼自身によるロベール・ブレッソン インタビュー 1943–1983 書評
映画芸術を愛するすべての読者に開かれた書
ブレッソンの「生の声」と「シネマトグラフ」という映画作りの精髄に触れる

彼自身によるロベール・ブレッソン インタビュー 1943–1983
出版社:法政大学出版局
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 フランスの孤高の映画作家ロベール・ブレッソンが、一九四三年から八三年までの四〇年にわたってみずからの創作術を明かした折々のインタヴューを集成した本書は、『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社)をその頂点とする映画作家への数あるインタヴュー本のなかでも、第一級に重要な著作である。というのも、ここでは、『罪の天使たち』(四三)から『バルタザールどこへ行く』(六六)を経て『ラルジャン』(八三)に至る、ブレッソンがその生涯で撮った一三本の長篇作品に即してなされたインタヴューを通じて、単に個々の作品にまつわるあれこれの着想や演出術や逸話が語られるだけでなく、そもそも映画芸術に何が可能なのかをめぐるきわめて独創的なヴィジョンが思考されているからだ。その意味で、本書はブレッソンの作品の愛好者だけでなく、映画という芸術に真剣な関心をもつすべての読者に開かれている。

真実らしさを志向したあげくに虚偽に陥っている通常の「シネマ」(ブレッソンはそれを「撮影された演劇」とも言う)と区別して、彼が「シネマトグラフ」という古名を充てた自らの映画作りの精髄は、彼の唯一の著作である『シネマトグラフ覚書』(筑摩書房)によって夙に知られている。このアフォリズム集に収められている断片的な省察の数々は、一九五〇年から七四年まで足かけ四半世紀にわたって書き継がれてきたものであり、本書に収められたインタヴューの数々とも多岐にわたる論点を共有している。実際、本書を読み進めていくと、職業俳優の排除と、ブレッソンが「モデル」と名付ける素人の起用をめぐる発言を中心に、モンタージュや音響的側面について、堅固な土台を築いた上での即興や不意打ちの重要性について、誇張法に対する緩叙法や省略の称揚について、さらには映画における創造とは何かという究極的なテーマに至るまで、読者はそこかしこに『シネマトグラフ覚書』との照応関係を見出すことができるはずだ。

ほぼ年代順にブレッソンの発言をたどっていくことで本書が可能にするのは、『シネマトグラフ覚書』のいわば生成研究でもある。まず驚かされるのが、同書を書き始めた一九五〇年の時点で、映画作りに対するブレッソンの基本的な着想が、すでにほぼ揺るぎないものとして確立していたことだ。とはいえ、特に素人の起用については何度となく対話者に問いただされるので、しだいにその説明が練り上げられ、深化していったようにも感じられる。訳者あとがきでも触れられているように、「俳優」の語を避けるため、長きにわたって幾分ぎこちない「主人公」(プロタゴニスト)という呼び名を使い続けてきたブレッソンが、同世代の批評家ジョルジュ・サドゥールとの一九六七年の対談で、ついに「モデル」という用語を見出すくだりには、貴重な発見の瞬間に立ち会ったという鈍い感慨を覚えざるをえない。このように、本書では『シネマトグラフ覚書』に結晶する思索の舞台裏が至るところに垣間見えて、読者を一時たりとも飽きさせることがない。

さらに、『シネマトグラフ覚書』ではぶっきらぼうに投げ出されている断章群が、ここでは多士済済たるインタヴュアーたちとの生き生きとしたやり取りの中で展開されていることも、本書の面白さに寄与している。サドゥールとの丁々発止のやり取りや、若きジャン・ドゥーシェの遠慮がちな問いかけや、何度も作品の意図を問いただされるのでつい英国の批評家をたしなめてしまうといった一幕など、どのページにも対話の息づかいが感じられるが、特にそれが顕著なのは、ラジオ番組「ル・マスク・エ・ラ・プリュム」からの四つの採録だろう。一九五五年に始まり、現在も続く演劇・文学・映画をめぐるこの活気ある饗宴に出演するブレッソンは、いつになくくつろいだ調子で、ざっくばらんに自らの映画術を説明している。こうした相対的にアクセスしづらいラジオ番組の採録を他にも収録し、ブレッソンの「生の声」を聞かせているところも、本書の魅力の一つである。

しかし、こうしたいくつもの魅力ゆえに困惑せざるをえないのが、編者ミレーヌ・ブレッソンが、本書の編集方針をまったく説明していないことである。たとえば新作『魂のゆくえ』が記憶に新しいカトリック映画作家ポール・シュレーダーとの間で一九七七年に交わされた、「神」に対するブレッソンの考えを知るためには必読と言ってよい有名な対談はなぜ除外されているのか。番組を採録するのならば、フランソワ・ヴェイエルガンスによる『われらの時代の映画作家』のブレッソン篇(六五)をこそ入れるべきではないか。歴史的にブレッソンに冷淡だった『ポジティフ』誌の批評家ミシェル・シマンがついに『ラルジャン』に関して行ったインタヴューは、後の完全版を収録する方がよかったのではないか。

もちろん、すべてを収録するのは物理的にも難しいのかもしれない。たださすがに、注記もなしに部分的な割愛が行われていることは、いささか看過しがたい。たとえば、『バルタザールどこへ行く』をめぐってゴダールらによってなされた『カイエ・デュ・シネマ』誌の長大なインタヴューは大幅に短縮されており、しかも割愛部分の一つでは、あなたがやろうとしていることは俳優を使ってもできるはずだ、俳優を「破壊」して、「俳優のなかの人間としての側面」を剥き出しにすればいいのだとゴダールが主張し、それに納得しないブレッソンと激論を交わしている。こうした印象的な箇所が、説明されぬ理由によって葬り去られているのは残念なことと言うほかない。

とはいえ、自らを「陽気な悲観主義者」と呼ぶブレッソンのたたずまいが感じられ、その声すら聞こえてくるような本書の価値は、それによっていささかも減ずることはない。『ヒッチコック/トリュフォー』がそうであるように、本書もまた、『シネマトグラフ覚書』ともども、長く読み継がれていくことになるだろう。(角井誠訳)(ほり・じゅんじ=関西大学文学部教授、映画研究・表象文化論)

★ロベール・ブレッソン(一九〇一―一九九九)=映画監督。画家として活動を始めるも映画監督へ転身。一九三四年、短編『公共問題』を監督。第二次世界大戦に従軍し捕虜となった後、一九四三年『罪の天使たち』で長編デビュー。監督作品に『ブローニュの森の貴婦人たち』『田舎司祭の日記』『抵抗』『スリ』『ジャンヌ・ダルク裁判』『バルタザールどこへ行く』『少女ムシェット』『やさしい女』『白夜』『湖のランスロ』『たぶん悪魔が』。一九八三年の『ラルジャン』が遺作となった。邦訳に『シネマトグラフ覚書 映画監督のノート』(松浦寿輝訳、筑摩書房)。
この記事の中でご紹介した本
彼自身によるロベール・ブレッソン インタビュー 1943–1983/法政大学出版局
彼自身によるロベール・ブレッソン インタビュー 1943–1983
著 者:6930
出版社:法政大学出版局
以下のオンライン書店でご購入できます
「彼自身によるロベール・ブレッソン インタビュー 1943–1983」出版社のホームページはこちら
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