創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで 書評|松本 卓也(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月22日 / 新聞掲載日:2019年6月21日(第3294号)

創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで 書評
統合失調症中心主義の終焉
ヘルダーリンを絶頂とした近代思想の物語

創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで
著 者:松本 卓也
出版社:講談社
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本書を読んでいるうち、ふと、キング・クリムゾンの半世紀前の名盤『クリムゾン・キングの宮殿』が聴きたくなり、CDを手にとって歌詞カードを眺めた。一曲目は「21世紀のスキッツォイド・マン」。往年のLPでは「21世紀の精神異常者」と訳されていた。ド迫力のアルバムジャケットにふさわしい派手な曲名だった(「21世紀の精神分裂病の男」より良かったと思う)。それが倫理規定に反しているとされ、英語カタカナ表記になったのは残念である。今やネットでじゃんじゃん出回っているこのプログレの名曲が放送禁止になることはありえないし、21世紀の健全なファンにはカタカナ書きで通用しているはずなので、よしとすべきか。
21世紀に入って、schizophreniaという病名の訳語が「精神分裂病」から「統合失調症」に改められたばかりではなかった。本書によれば、20世紀を風靡した「統合失調症中心主義」自体が、終焉を迎えたという。現代では、統合失調症は病それ自体が軽症化し、また抗精神病薬の効果も上がり、不治の難病という見方は払拭されつつある。これに対して、20世紀後半に注目され始めた「アスぺルガー症候群」が1995年に「自閉症スペクトラム」と定義し直され、研究対象として持て囃されるようになった。心の病も時代によって驚くほど流行り廃りがあるのだ。

では、終焉を迎えたという統合失調症中心主義の時代とはいかなる時代であったのか。そういう問いが頭をもたげてくる。この問いは、19世紀と20世紀の二百年にまたがる。その前史も含めれば、17世紀以来、つまり「近代」という時代において、統合失調症はいかなる意味で中心であったのか。それがこの問いの内実となる。精神医学、とりわけ病跡学の内側から、学説史的反省をこめてこの総括的問いに立ち向かったのが、本書である。ビンスワンガー以来の人間学的精神病理学と、ラカンに代表される精神分析の潮流の、双方からの自己批判の試み。その意味では出るべくして出た本だが、それが呼び起こす問題領域の広大さを考えれば誰もがひるまざるをえないこの巨大な問いに、近年活躍の著しい俊秀が正面から挑んでいる。「ポストモダン」における一つの快挙と言ってよい。
統合失調症が脚光を浴びてきたのは、この病理が思想や芸術の方面で華々しい生産性を発揮すると認知されてきたからにほかならない。統合失調症者とは、理性の解体にまで至る深刻な病に罹患することとひきかえに、人間の本質にかかわる深刻な真理を獲得するに至った人物だ、と考えられてきた。理性の解体とひきかえに真理に触れる、特権的な狂気。真理をあばくそのはたらきゆえにこそ、統合失調症は、近代人の哲学的思索と深い因縁を有してきたのである。
統合失調症と近代思想史とのこの因縁を一身に体現しているのが、ヘルダーリンである。本書によれば、ヘーゲルの親友でもあったこの悲運の詩人は、「人類初の、少なくとも最初期の統合失調症者」と見なせるという。ヘーゲルと同じく1770年生まれのヘルダーリンは、20歳前後に勃発したフランス革命に衝撃を受けた世代に属する。フランス革命によって産み落とされた近代の産物は数多いが(国歌、国民軍、公教育から博愛精神まで)、近代に誕生した病である統合失調症もその周辺に位置づけられるのである。

大詩人シラーを父のように崇めつつも、その恩人に挑戦するかのように理想の雑誌創刊の夢を抱き、その思い上がりを当然のように拒絶され、現実と理想のギャップからついに発病に至った詩人は、まさにその時期に奇蹟的な創造性を発揮する。創造と狂気のこの合体こそ、ヘルダーリンをして詩人中の詩人たらしめている当のものにほかならない。19世紀初めにヘルダーリンを襲った恍惚と霊感は、次いで19世紀末、ニーチェによって変奏される。神の言葉を預言するのではなく、神は不在のまま自我がその深淵の裂け目に直面して「無」の経験を宣べ伝えるという、ヘルダーリン以来の近代詩人の運命を、さらに20世紀は、ハイデガーとラカン、さらにはフーコーを通じて、「詩の否定神学」として定着させていくことになる。

このように本書の中心部では、近代精神が統合失調症と触れ合うさまが、ヘリダーリンを絶頂として描かれる。またその前史として、堂々めぐりの夢と悪霊に取り憑かれたデカルト、理性の不安におののいて狂気を隔離しようとしたカント、ヘルダーリンに寄り添いつつ狂気を乗り越えようとしたヘーゲルが、巧みに配される。のみならず、神を喪った近代詩人における創造と狂気の関係を照らし出すために、プラトンによっていち早く唱えられた創造的な神的狂気の説が、まずは発端に置かれる。そうした大枠設定のもと、デリダ、ドゥルーズによって、プラトン以来の本質主義的狂気理解が、ひいては近代の統合失調症中心主義が解体させられる、というポストモダン的シナリオで締めくくられる。そこで引き合いに出されるのは、ルイス・キャロル、レーモン・ルーセル、ルイス・ウルフソンといった、深層とは無縁に表面で戯れる自閉症スペクトラム型の詩人たちである。

そうした絢爛たる西洋思想絵巻を眺めてきた読者は、最後に、「「創造と狂気」はどこに向かうのか?」という、著者の自省のような問いに行き当たる。私は半ば同調しつつ、「「21世紀の精神異常者」はどこへ行った?」と呟いている自分を見出す。50年前の曲は今聴いても、驚くほど新しい。ある時代が終焉したとしても、その時代の乗り越えがたき豊かさと輝きに、思いを馳せないではいられないのだ。
この記事の中でご紹介した本
創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで/講談社
創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで
著 者:松本 卓也
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで」出版社のホームページはこちら
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