山田詠美 ロングインタビュー(聞き手=倉本さおり) 小説(フィクション)から事件(リアル)に迫る 『つみびと』(中央公論新社)刊行記念|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年6月21日 / 新聞掲載日:2019年6月21日(第3294号)

山田詠美 ロングインタビュー(聞き手=倉本さおり)
小説(フィクション)から事件(リアル)に迫る
『つみびと』(中央公論新社)刊行記念

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つみびと(山田 詠美)中央公論新社
つみびと
山田 詠美
中央公論新社
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作家・山田詠美氏にとって自身初となる新聞小説『つみびと』が、五月二二日、中央公論新社より刊行された。日本経済新聞に掲載当初(二〇一八年三月~一二月)から大きな反響を呼んだ作品であり、『賢者の愛』以来、三年半ぶりの長編小説となる。

マンションの一室に幼い子どもふたりを放置し、死に至らしめた二三歳の母親は何を思い、〈つみびと〉への道を突き進んでしまったのか。実際の事件に材を取りながら、フィクションでしか書けない世界を極限まで追求した。刊行を機に、山田詠美氏にお話しをうかがった。聞き手はライターの倉本さおり氏にお願いした。
(編集部)
第1回
不幸の要素を描き出す

山田 詠美氏
――『つみびと』拝読させていただきました。山田さんは女性誌でエッセイの連載をされているので、今の社会の雰囲気やスキャンダルに対する読者の目線も、作品に含み込まれているだろうなと思いながら読んでいました。まずは、執筆のきっかけからおうかがいしてよろしいですか。
山田 
  数年前に大阪で、若い母親が、マンションに二児を閉じ込めたまま置き去りにして、その子たちが亡くなった事件がありましたよね。あの事件に感じるところがあって、ずっと心に留めておいたんです。当時は、テレビや雑誌などで、すごく悲惨な事件として扱われていて、メディアで発言する人たちは、みんな「勧善懲悪」の立場から論じていたんですよね。確かにひどい母親だとは思います。けれども、そうではない、マスコミで報道されない面もあるんじゃないかと考えるのが、小説家の仕事だと、私は思っています。

本当は他に進むべき道があったのにもかかわらず、ちょっと折れた道に入り込んでしまったがために、人生が狂ってしまった。そこでがんじがらめになり、どうにもならなくなっていく。そういう可能性って、どんな人にもあると思うんですね。でも、ほとんどの人は、自分にもあるかもしれない、そうした可能性をまったくはずしたところで語っている。これはちょっと違うなと思いながら、報道などをずっと見ていました。では、こういう事件を目にしたとき、小説だったらどういう風に描けるんだろうか。なんとかフィクションの形にできないかと思って書きはじめたのが、そもそものきっかけです。

――物語は、蓮音の事件が報道された直後からはじまります。世紀の「鬼母」というレッテルをはられ、その母だということを理由に、琴音のところにマスコミが押しかける。その時点で、蓮音は既に、とんでもない極悪人のイメージになっている。また、取材する側も、「あなたのような人が母親だから、娘が不幸になってこういう事件を起こしたんだ」という先入観に基づいて質問を投げつける。この冒頭で、一読者としてドキッとさせられました。
山田 
  なにか事件が起きたとき、多くの人は、わかりやすくひとまとめにして語りたがりますよね。でも、ひとつの事件にまつわる不幸というのは、けっして画一的には語れない。なぜなら、不幸も幸福も、あくまでその人にしか判じられないものだから。いわば人の数だけ不幸の形があって、それらのいろいろなピースが複雑に組み合わさった結果、事件は起きるわけです。そこを事細かく、ごまかさないようにして書いてみたいと思いました。

――採用されている視点と語りは、意識的に選ばれたのでしょうか?
山田 
  そうですね。ノンフィクションと比較して考えてみるとわかりやすいと思うんですけれど、たとえば事件を描くとき、ノンフィクションは、取材して資料と照らし合わせながら緻密に書いていきますよね。それがノンフィクションの鉄則であって、あくまでも外側から客観的に物事を見ていく。ただ、そうすると、当事者の気持ちにまで分け入って書くことが難しいんですよね。それに対して小説は、資料をもとに客観視に徹することはできなくても、人の内面に入っていくことはできる。ノンフィクションとは違う形で事件を見ながら、その人物の不幸がどういう要素で成り立っているのか。どんどん小さなピースに分けていって、違う側面を描くことができると思うんですね。そのためには、視点を変えて書くことが必要でした。

もうひとつ。事件の加害者を書こうとしたとき、あまり人に寄り添い過ぎてしまうと、この人にはこういう事情があったんだと、どうしてもその人の言い訳を考えてしまう。けれど、事件は事件として冷静に見ると、悲壮なことが起きたという事実はけっして動かすことができない。だから、子どもたちが置かれた状態や状況を、間に挟んで書いていくことにしました。母である蓮音がいて、ふたりの兄妹がいる。また蓮音の母・琴音の存在。それぞれのパートを繰り返し描くことで、事件の全貌を浮き上がらせたいと思ったんですね。

――純粋な一人称視点は琴音のパートだけで、ほかは三人称の寄り添い型です。これも意識的に書きわけられたのでしょうか。
山田 
  ええ。一人称で語る日記のような部分もあり、一方で客観的な描写もある。いろんな角度から書くためには、両方の視点が必要だったということです。

――さらに、事件の「被害者」にあたる蓮音の子どもたちの上の子・桃太の視点はかなり特殊です。「ですます調」で語られていて、それこそ「物語」の語り口調になっています。
山田 
  そこは、子どもたちが寝る前に、お母さんが読んであげる童話のように書きました。

――桃太の視点で書かれた部分が、かりに完全な客観視点だったとすると、いかにもニュースを聞かされているときみたいに、事件を消化できると思うんですが、こうした語りを入れたことによって、読んでいる側も、また違った受け止め方となります。スキャンダルなものを消化しているにもかかわらず、命を落してしまった彼らに対して、「かわいそう」と思う私たちの卑しさを穿たれた気がしました。『賢者の愛』でお話をうかがったときには、「〈家政婦は見た〉文体」という言い方をされていましたよね。
山田 
  私の小説って、そういうところがあるかもしれませんね(笑)。

――ただ、『賢者の愛』の場合、大人の男女の物語だから、ある種シニカルな印象を与えるものだったと思います。けれども本作『つみびと』の〈小さき者たち〉のパートは、ただただ痛々しい描写がつづく。でも、彼らに過剰に感情移入して、エモーショナルなものを、そのまま蓮音や琴音にぶつけてしまうと、彼女たちを短絡的に傷つけることにもなります。語り口調一つで、正しいものの尺度が、簡単に伸び縮みすることを突きつけられた気がしました。
山田 
  人によって見方も違うし、置かれた状況も違う。それを細かく書き込みながら、なおかつ書いている私自身が持っている客観的な視点も合せていく。そのことを、どの章でも意識しながら書いていたと思います。
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この記事の中でご紹介した本
つみびと/中央公論新社
つみびと
著 者:山田 詠美
出版社:中央公論新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「つみびと」出版社のホームページはこちら
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