山田詠美 ロングインタビュー(聞き手=倉本さおり) 小説(フィクション)から事件(リアル)に迫る 『つみびと』(中央公論新社)刊行記念|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年6月21日 / 新聞掲載日:2019年6月21日(第3294号)

山田詠美 ロングインタビュー(聞き手=倉本さおり)
小説(フィクション)から事件(リアル)に迫る
『つみびと』(中央公論新社)刊行記念

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第4回
「自分」の言葉で「自分」を語るために

――『つみびと』を読んでいると、最初から運命が決まっていたのではなく、ここで踏み止まることができたならばという瞬間が、何回も出てきます。だけど主人公は、そうする道を選ぶことができなかった。
山田 
  自由になるというのは、人生の選択肢を自分で持てることだと、私は思うんですね。昔アメリカ人と結婚していたとき、彼の友人たちと話していると、必ず出てくる言葉がありました。それは“Choice is yours”という言葉。フリーダムを勝ち取るには、まずはチョイスが必要なんだと思いますね。

――選択肢があることを読み取れるようになるために、すごく大事なのが、語彙に対して意識的であることだと思います。細かいところですが、たとえば、かつての蓮音の中には「せつない」という語彙が実感としてなかったというエピソードが出てきますよね。言葉は、体験と結びついて初めて理解できるものだと思いますが、スッカスカの「がんばれ」という言葉しかかけてもらっていないから、そういう言葉を学ぶ機会が蓮音にはあまりに少な過ぎた。
山田 
  ヘレン・ケラーが水に触れて、“Water”という言葉を発するでしょ。あの瞬間って、きっと誰にでも訪れることだと思うんですね。それが人生に一回あるか、二回あるかはわからない。ふんだんに与えられる人もいる。人によって違うけれど、たった一回も与えられなかったら、その人の人生はものすごく不幸だと思う。“Water”という言葉を教えてくれる人に、ひとりでも多く巡り会えればいいなと、私は思いますね。

――最初の蓮音のパートですごく印象的だったのが、次の箇所です。「思い詰めると、頭の中が文字通り真っ白になってしまう。けれども、それは、ようやく向かい合うしかなくなった余白だ。これから、そこを埋めて行くべきものは何だ。語りなおすべき自分自身の物語ではないのか」。それまでの蓮音は、思考停止して頭が真っ白になってしまって、そこから逃げるか、あるいは、わざと混乱の中に入っていくことで、言葉を紡ぎ出せない方向にばかり向かっていた。けれども、自分で言葉を獲得しないとダメなんだ、そうしないと人生を自分のものにすることはできないんだと感じはじめる。
山田 
  自分の物語は、やっぱり自分の言葉によって語らないといけない。でも、それができない人だっていますよね。ならば一番近いところに、自分について語ってくれる人がいたらいいんだけれど、なかなかそういう人も見つからないし、出会ってもわからないかもしれない。だから、理想は自分の言葉を獲得して、なおかつ自分を語ってくれる人が傍にいるっていうことなんだと思いますね。それに出会えないで終わる人もいるけれど、人生はいろいろだから仕方がない。ただ、言葉が重要だっていうことが、まったく理解できない人たちもいるから、そこが厄介なんです。

――琴音はその後の人生で、そういう瞬間に巡り会う機会に恵まれて、一対一で言葉をかわしあえる人たちとの交流も生まれます。でも、蓮音は出会えない。だから回想の中で、ずっと地獄にいるような状態がつづく。
山田 
  永遠に抜け出ることができないわけね。辛いよね……。

――ネタバレになってしまうからちょっと話しづらいかもしれませんが、最後に母と娘が向かい合って、「何、差し入れて欲しい?」って聞くシーンがありますよね。それに対して蓮音は「Ban」と答える。よりによって制汗スプレー(笑)。このリアリティがもう最高だなって思いました。
山田 
  実際、取材した刑務所の売店に、めぼしいものがそれしかなかった(笑)。うす暗い売店の中で燦然と輝いていたの、「Ban」が。何でこんなものが置いてあるんだろうと不思議に思ったんだけど、結局欲しがる人がいるからなんだと思って、あのセリフにしたんです。

――蓮音は、それまで本当に欲しいものを口にすることができなかった人です。だから、この文字列が輝いて見えたんです。母と子が再会して、いきなり幸せを確認し合うという展開だと、ちょっといい話になりすぎかなと思ったんですが、「Ban」のくだりが挟み込まれていたのがたまらなかった。

幼い頃、母と没交渉になるまでは、蓮音は長女であり、弟妹を育てなければいけなかった。あまりわがままを言うと、お母さんが帰ってこなくなっちゃうかもしれないと思い、欲しいものを言うことのない子だった。それが、この場面で初めて母親に向かって、自分の思いをぶつけた。その言葉が「Ban」。明らかに実用的なもので、ここで初めて一対一になれたのかなという気がしたんです。この状況がすごくいいですよね。
――そして最後に、面会所のガラスを見て「このガラスは鏡なんかじゃない」と語られる。母と娘が鏡像として向き合った場合、「この母にしてこの娘あり」というロジックに人々が絡め取られてしまう。でも琴音が「鏡なんかじゃない」と気づくところに、ある種の恩寵を感じたんですね。ラストがどういう風に決着がつくのか、読みながらずっと想像していたので、ホッとしました。ここは、早い段階から思いつかれていたのでしょうか?
山田 
  そうでもないの。言葉にして言わないとダメだって、蓮音と子どもたちが言うでしょ。だから何度も「幸せ」っていう言葉を口にする。そうやって声に出すことが、段々と自分へのエールになってくるんだけれど、手に入らないものものある。蓮音は声に出せば大丈夫なんだと信じつつ生きながらも、結局あんな事件を起こしてしまう。でも、もう一度自分の物語を語り直してから、「幸せ」と声に出して言わなきゃいけないと思い直す。そこは再生を込めた終わり方にしようと思って書きました。
――蓮音が「誰か私のために泣けよ!」と言うシーンがありますよね。あのシーンは本当に辛くて、痛々しいです。蓮音はずっと、周囲の大人から適切な言葉もかけてもらえず、ほったらかしにされ続けてきた。つまり、いたわりやねぎらいの感情を他者から注いでもらっていることを自覚できる機会が決定的に不足していたんですよね。言葉って、他者からかけられたものでないと機能しないわけですから。

蓮音と桃太が野原を一緒に走って、「ママとモモ、二人共、一等賞!」と言うシーン、それに対して「そうだよ。私だって一等賞になれるんだ」と、蓮音が応える。あの場面は、なけなしの言葉によって親子がぎりぎり支え合っている感じがしました。問題を抱えて、踏みとどまらなきゃいけないところで踏みとどまれない人たちというのは、そういう言葉の蓄積を持ち得なかったんじゃないでしょうか。
山田 
  そう思いますね。言葉の蓄積がないというのは、人間同士が幸せな付き合いをしてこなかったから生じることでもあるし、そういう大人のあり方は、子どもにもしわ寄せがいく。言葉を、子どもから奪うことにも繋がっていくと思います。
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この記事の中でご紹介した本
つみびと/中央公論新社
つみびと
著 者:山田 詠美
出版社:中央公論新社
「つみびと」は以下からご購入できます
「つみびと」出版社のホームページはこちら
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