三田三郎『もうちょっと生きる』(2018) 単線の電車が今朝も這ってきて終点のない日々が始まる |書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2019年6月25日 / 新聞掲載日:2019年6月21日(第3294号)

単線の電車が今朝も這ってきて終点のない日々が始まる
三田三郎『もうちょっと生きる』(2018)

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現代の都市生活者にとって、電車はかわりばえのしない日常の象徴だ。毎朝時刻表きっかりにやって来ては、人々をつまらない職場や学校へと運んでゆく。この歌もそんな一首だ。「単線の電車」としか言わず具体的な路線名などは言っていないので、日本全国どこにでもありえる風景として詠まれている。わかるのは、単線だから都心部ではなく郊外のローカル電車だろうということくらいだ。

電車が到着する情景を「這ってくる」と表現するのが卓抜だ。確かに、蛇のような細長い生き物が猛スピードで這ってきているようなイメージが、電車の到着風景にはオーバーラップする。一度この歌を読んでしまったら、もうあの情景のことは「這ってきている」としか形容できない。そんな気がしてしまうほどのインパクトだ。

現実の電車には終点があってとりあえずは区切りがつくが、生活の日々には終点がない。ループするかのように毎朝同じ電車に乗り込んでゆく。固有名詞を用いないことは、現代ではリアリズムではなく、抽象的な比喩としての効果を帯びることになる。アフォリズム化といったらいいだろうか。どこに住んでいるかは関係なく、自分にとってもあなたにとっても、似たような日々が眼前に訪れているのだというメッセージになっている。しかも単線だから逃げ場もない。

終点のない日々を終わらせるには、この単線を脱線してゆくか、完全に停止してしまうか、どちらかしかないのだ。(やまだ・わたる=歌人)
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