澁澤龍彥、三宅艶子、羽仁進 評論 現代悪書論 ――不良出版物追放運動に寄せて 『週刊読書人』1963(昭和38)年11月4日号 1―2面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年6月23日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第499号)

澁澤龍彥、三宅艶子、羽仁進 評論
現代悪書論 ――不良出版物追放運動に寄せて
『週刊読書人』1963(昭和38)年11月4日号 1―2面掲載

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第4回
“悪書裁判”の滑稽さ ――どんな影響をもちつづけるか

羽仁 進氏

テレビをみているところに、近所のこどもがやってきた。みかけない子供なので、聞いてみると、小学校六年生だという。

意外なのは、彼が全くテレビのプログラムについて知らないことである。僕も最近撮影であまり見ていなかったのだが、それ以上に何も知らない。きいてみると、今うちにテレビがないのだそうである。どうやら、子供の勉強を心配した両親がテレビをかくしてしまったらしいのである。それが不満で、よそのテレビまでのぞきにきたのかと思ったが、いっこうに興味を示さない。つづけてみていないので、ちっとも面白くないのだそうである。

この子供だけ特殊なのかと思ったが、そうでもないらしい。一しょに街に出たら、友人に会ったがやっぱりテレビをほとんどみないそうである。

そんなに忙しく何をしているのかと思ったら、勉強に忙しいのだそうだ。近所にもいろいろなのがある。このあたりは商店街や小工場の多いところだから、算盤芸のようにオーソドックスなものも未だ残っているが、もちろん盛んなのは様々な補習グループである。中には、はるかに渋谷あたりまで出かけて特別勉強(特勉)に忙がしい子もいるから、一日の時間割りが、流行作家のようになっているケースもある。

例えば、四時頃学校から帰宅すると、ただちに就寝。七時に起きて、食事。また直ちに寝て、十一時ごろ起き、そして翌朝学校へいく時間まで勉強するのである。どうやら、この子の場合は、すべて自宅で参考書をもとに勉強、週に一度研さんのために予備教育施設に通うらしい。

毎日通っている子だと、また別である。例えば、三時半ごろ、できるだけ当番などはサボって帰宅。直ちに食事。すぐ補習塾。

いくらかおくれるが、空腹では夜の十時の勉強までもたないというわけだ。

こんな子供達には、テレビにも目をうつせないぐらいだから、いわゆる悪書などをよんでいるひまのないのは勿論である。

書物が、悪書たるにはまずよまれなければならないのは、勿論であるが、それだけでも不充分だ。悪書といい良書といっても、それが読者の中へ、どんな風に入っていき、どんな影響を、どのくらいもちつづけるのか、それが問題である。読み方がちがえば、当然同じ本でも、ちがってうけとられる。あらゆる悪書裁判が、奇妙にこっけいであり、同じ本をこうも別の角度からよむ人がいるのかとおもわせるのもあたりまえだ。

さて、そのような強烈な影響力という点になると、いわゆる悪書も、受験用図書にはかなわないのではないだろうか? 悪書によみふけるひまをもつ子も、受験準備に忙しい子とでは、あるいは前者の人数が多いかもしれない。しかし、受験図書に一貫して流れているような知識のきりうりのしかた、出世コースへの適応のしかたが、一生を通じて心の中に生きつづけることは想像にかたくない。本質的な意味での影響力ということになれば、書物について、あるいはさらにひろく問題にする値うちがあるのは、こちらの方かもしれないのである。

僕達自身の立っている文化を見直すことに、悪書をきめつけることの無意味なのは、こんなところにもあらわれている。(はに・すすむ氏=映画監督)
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