真実が揺らぐ時 ベルリンの壁崩壊から9・11まで 書評|トニー・ジャット(慶應義塾大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月29日 / 新聞掲載日:2019年6月28日(第3295号)

真実が揺らぐ時 ベルリンの壁崩壊から9・11まで 書評
時代の変化にどう向き合うか
二十世紀から二十一世紀に移り変わる変遷を著す

真実が揺らぐ時 ベルリンの壁崩壊から9・11まで
著 者:トニー・ジャット
翻訳者:河野 真太郎、西 亮太、田尻 歩
編集者:ジェニファー・ホーマンズ
出版社:慶應義塾大学出版会
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本書は、二〇一〇年に亡くなった歴史家トニー・ジャット最期の書である。大著『ヨーロッパ戦後史』を著した稀代の現代史家だったジャットの紹介は不要であろう。一九八九年から二〇一〇年の間に執筆・発表された様々な書評や同時代評論などを、私生活上のパートナーだったジェニファー・ホーマンズがトピック毎に編纂した本書は、全五部二十三章の構成、総ページ数は五百頁を超える。冷戦を終えた二十世紀から二十一世紀に移り変わるその変遷を著した本書はずしりと重い。ジャットの書を読めることをまず歓びたい。

さてそのジャットがユダヤ系の出自であるばかりか、若い頃イスラエルに渡り開墾にも従事したことはよく知られている。本書からは、自らの「ユダヤ人」的なものが彼の思惟の中核にあることに改めて気づかされる(序文のホーマンズの回顧も興味深い)。第二部(「イスラエル・ホロコースト・ユダヤ人」)からは、自らの中にある個別的なユダヤ性と普遍的なリベラリズムの相克を内側に抱え、この二つのベクトルに引き裂かれつつ、あるべき世界の方向性を過去の歴史の歩みに照らしながら考えることを止めない知識人の姿が浮かび上がってくる。特に全体主義とホロコーストの問題を二十世紀史に位置付けようとする第九章は圧巻の筆致だ。

他方で第三部の、二〇〇〇年以降のアメリカや大西洋世界をめぐる同時代的考察には、正直そこまで含蓄の深いとは思えないものも多い。ブッシュ政権やイラク戦争へのジャットの批判は手厳しいが、その洞察はさほど独自なものではない。半面、今日話題に上がりやすいイスラーム過激派をめぐる考察は殆どない。唯一、イスラーム過激派について正面から言及している個所(第二十章)では、イスラーム過激派のテロが他のテロと別物と考えるのは誤りだと強調する。恐らくこの問題は、ジャットが生涯を通じて取り組んだ二十世紀の問題ではなかった。

本書は、歴史家ジャットが現在を考察しようとする点で、類似する既刊『荒廃する世界のなかで』や『20世紀を考える』(共にみすず書房刊)と併せて読むべきであろう。前二書では病魔に侵された彼が自らの来歴や歴史に対する知見を表明しようとするのに対し、本書からは時代の変化にどう向き合うかについて、歴史家として決然とした時代認識を示そうとする姿が垣間見られる。彼の二十世紀に対する省察は第九章に、二十世紀から二十一世紀への転換については第二十章に、二十一世紀という来たる時代に対する思索は第二十三章に、そのエッセンスが結実している。しかし、この「変化する時代」へのジャットの思索は、ほぼ二〇〇八年で途切れてしまう(この三章はどれも二〇〇七年から〇八年の執筆である)。

果たしてジャットは、二十世紀が過ぎ去り政治の時代から経済の時代へと「現実が変化したことで考えを変えた」のだろうか?(原題はケインズの言とされる「現実が変化するときには私は考えを変えます。あなたはどうか?」に由来している) ジャットはこう警鐘を鳴らす。「今の変化の時代について重大なのは、過去の慣習だけでなくそれらの記憶すらも捨ててしまうという独特な無関心である」。だが、二十世紀は「類を見ない蛮行と多くの人々の苦しみの時代」だったがゆえに「私たちは20世紀から逃げるどころか、そこに戻り、もう少し慎重に眺め」なければならないのだ(引用は全て第二十章)。そもそも彼の思惟を決定づけているイスラエルという存在は十九世紀的観念の遺産だった(第七章)。十九世紀の遺産が二十世紀に受け継がれるように、戦争、大量虐殺、テロ、難民、植民地主義といった問題は二十世紀を貫き、その時代が終わろうとしても歴史から退場することはない。ジャットから見れば、二十一世紀は新しい時代ではない。グローバリゼーションがもたらしたビジネス万能主義は、結局のところ、マルクスの時代の経済的必然性への信仰の変種でしかない。「20世紀から21世紀へと移り変わる中で、私たちは、一つの19世紀的な信仰のシステムを捨て去り、もう一つの19世紀的なシステムをそこに置き換えただけではないのか」(第二十三章)。

ジャットのこの問いに対して反論は可能だろう。だがジャットが示しているのは、我々が歴史の重みから逃れることはほぼ不可能であり、十九世紀から受け継がれ二十世紀に人類が生んだ様々な問題を我々はまだ解決できていないという単純な指摘である。彼が格闘し続け、そして彼が設定した二十世紀史の射程から我々が逃れるのは、まだできそうにない。
この記事の中でご紹介した本
真実が揺らぐ時 ベルリンの壁崩壊から9・11まで/慶應義塾大学出版会
真実が揺らぐ時 ベルリンの壁崩壊から9・11まで
著 者:トニー・ジャット
翻訳者:河野 真太郎、西 亮太、田尻 歩
編集者:ジェニファー・ホーマンズ
出版社:慶應義塾大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
「真実が揺らぐ時 ベルリンの壁崩壊から9・11まで」出版社のホームページはこちら
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