エリアス・カネッティ 生涯と著作 書評|須藤 温子(月曜社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年6月29日 / 新聞掲載日:2019年6月28日(第3295号)

エリアス・カネッティ 生涯と著作 書評
様々な角度から光を当て作品に迫る
二五年間の成果、啓発的な書物

エリアス・カネッティ 生涯と著作
著 者:須藤 温子
出版社:月曜社
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一九八一年、カネッティがノーベル文学賞を受賞した際の、日本の新聞四コマ漫画をいまでも思い出す。報道に接した男性サラリーマンが書店で平積みにされた著作を手に取り立ち読みするが、頭のうえには???とハテナ印が三つも四つも浮かぶばかりで、黙ってその場を去る、というものだった。岩田行一氏の尽力をはじめとして邦訳がつとに出されていた作家であるものの、それから四〇年近くを経たいまでも、日本の読者層で広く受け容れられているようにはうかがわれない。

しかし実のところカネッティ作品は、四コマ漫画が示したような、書店店頭で一瞥しただけで拒絶されるような性質ではない。むしろドイツ語文章自体は簡潔で明快とすら呼べる。だからといって作品理解が容易であるわけでもむろんなく、件のハテナ印を不当とは呼べないのだが。

字面上は平明でありながら理解が困難になってしまうというのは、一定の必然性、曖昧な言い方ながら、作品の奥行の深さ、複雑さによるものだろう。本書は、そうしたカネッティ作品にさまざまな角度から光を当てて迫ろうとする、いまだ数少ない本邦のカネッティ研究者による過去一五年ばかりの成果だ。

カネッティへの「手ほどき」を求める読者ならば、副題に「母語にして迫害の言語とユダヤ性」と銘打たれた最終章、第九章から読みはじめると良いかもしれない。彼にとってドイツ語は、八歳になって習得した四番目の言語であるというだけでも特異であるが、またセファルディ系ユダヤ人という立場からすれば迫害者の言語でもあった。とはいえここでは、「ドイツ/ユダヤ」といった枠組みが設定され、そこで「ユダヤ人」が特権化されるのではない。著者はこう述べる。《カネッティにとってユダヤ人とは、帰属的領土も統一的言語ももたざる者、遍歴と祖国喪失によって自己規定する者である。この「もたざる者」の立場を貫くことが、ユダヤ人になりきるという誘惑を退かせ、あらゆる人びとに対して開かれた普遍主義的思考を可能にさせるのである。》

「わたしはいかなる死も認めない」と題された第四章では、《生き続けてもなお勝利者とならないためにはどうすればよいのか》という彼の痛切な自問から、《「言葉の良心」》《「正確、繊細さ、そして責任」がその本質を形づくる「真正な記憶と想起の文学」》というカネッティの文学観が導かれていた。

本書では、こうした言語、文学に対する彼の基本姿勢を踏まえ、その作品および周辺が扱われる。

全体の三分の一ほどの紙数を占める第一章は著者の博士学位論文をもとにしており、もっとも力が込められている。一九三五年に刊行された彼にとって唯一の長編小説『眩暈』を主対象として、この作品は《終始一貫して「男女の闘争」の物語》であると捉えられる。本作品は、世紀末ウィーンで出されたオットー・ヴァイニンガー『性と性格』に対するパロディーである、という把握にもとづくものだ。『性と性格』では、「男性/女性」「キリスト教/ユダヤ教」等の二項対立によって人間を分類し、前者に肯定的、後者に否定的評価が与えられる。それに対して『眩暈』では、このような《理想に囚われる個人》こそが揶揄されているという理解だ。そしてそこからは、カネッティにとって重要な観念である《変身》と《群衆》(『眩暈』とならぶ主著『群衆と権力』は第三章で扱われる)がそうしたパラノイアを無効にする《開かれた場所》であると示されていた。

その他本書では、一九世紀のユダヤ人カリカチュア(第二章)やレンブラント、ブリューゲル、グリューネヴァルトの絵画(第五章)といった図像を挙げての論述、妻だったヴェーザ・カネッティ、彼と同様英国に亡命したオーストリア作家ローベルト・ノイマンとの対比による彼の位置づけ(第二、六、七章)、一七世紀英国で盛んだった「キャラクター・スケッチ」との関連(第八章)など、多面的な接近が試みられており、啓発的だ。気負いのあまりか第一章をはじめとしてときとして生硬さを免れず、また図式のなかで対象作品の幅が狭められているきらいもあるが、さらに包括的で豊かなカネッティ論をこの先に期待したい。

近年になり、本書著者も共訳者の一人であるスヴェン・ハヌシェク(北島玲子他訳)『エリアス・カネッティ伝記』上・下(上智大学出版、二〇一三年)、宍戸節太郎『カネッティを読む』(現代書館、二〇一三年)が刊行され、修士論文、博士論文でカネッティを扱う若い研究者も散見されるようになった。願わくば、こうした営みが日本の読者に「カネッティ発見」を促さんことを。
この記事の中でご紹介した本
エリアス・カネッティ 生涯と著作/月曜社
エリアス・カネッティ 生涯と著作
著 者:須藤 温子
出版社:月曜社
以下のオンライン書店でご購入できます
「エリアス・カネッティ 生涯と著作」出版社のホームページはこちら
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