齋藤元紀 講演会載録 ハイデガー「黒ノート」の全貌 全三四冊のノートには何が書かれているのか|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年6月28日 / 新聞掲載日:2019年6月28日(第3295号)

齋藤元紀 講演会載録
ハイデガー「黒ノート」の全貌
全三四冊のノートには何が書かれているのか

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第5回
ハイデガーと歴史

これはあくまでも一つの見通しに過ぎませんが、それによって、ハイデガーが「黒ノート」で同じことを繰り返しているように見えても、その思考がそのつど揺れていて、分散化・断片化している過程にも注意を向けられるようになります。それと同時に、そうした自身の思考のうちに生じるズレや差異を、ハイデガーが周囲の状況や歴史の変遷のなかで見てとろうとしていった様子にも、目を向けることができるようになります。個人的な事柄と自分の外で起きている事柄はどう繋げて考えられるのか。この問題に対して、『存在と時間』では、公共性の問題をひとまず括弧に入れ、個人の実存に議論を集約することで、自己自身の存在の全体性を確保していました。しかし「黒ノート」では、私の存在がこの歴史の中で一体どういうふうに位置づけられるのか、自己の思考あるいは自己の存在が、公共性あるいは歴史とどう接続するのか、という問題が強烈に浮上しているのが見てとれます。
一例として、一九三八年の六月から夏までの間に書かれたと思われる次のような奇妙な断片があります。「深淵なドイツの歴史の前景で、歴史学上の年数が不気味に戯れている」。そこでは、ある年におこった出来事と、ドイツの運命とが記されています。「一八〇六年 ヘルダーリンが発狂し、ドイツ人たちが結集し始める。/一八一三年 ドイツ人たちの突撃がその高みに達し、リヒャルト・ワーグナーが生まれる。/一八四三年 ヘルダーリンが《世》を去り、一年後にニーチェが《世》に生を享ける。/一八七〇/七六年 ドイツで[普仏戦争後]泡沫会社乱立[バブル]時代が始まり、ニーチェの『反時代的考察』が公になる。/一八八三年 『ツァラトゥストラ』第一部が公刊され、リヒャルト・ワーグナー死去。/一八八八年 十二月末、破綻前のニーチェの《高揚》、そして――(一八八九年九月二六日)」。最後は、ハイデガー自身の誕生日です。ここでは、ドイツの偉人たちの運命やドイツのエポックメイキングな歴史の出来事、それらと自分自身をシンクロさせていく発想が見て取れます。
歴史をめぐる誇大妄想だと一笑したくもなりますが、私たちも意識するにせよしないにせよ、普段から個人史と世間での出来事や公共的な歴史区分とを結びつけていることを思えば、それほど不思議だというわけでもありません。終戦、昭和、平成、令和、東日本大震災、クリスマス、ハイデガー生誕一三〇年といった日付を私たちはしばしば口にします。歴史を純然たる客観的対象と見なすのも、無闇に記念日に一喜一憂するのも、いずれも素朴に過ぎることを重々承知しているはずですが、それでも私たちの「生」のなかでは、個人史と公共の歴史とが複雑に交錯しています。たんなる偶然にすぎなくとも、否、たんなる偶然にすぎないのに、個人史において決定的な出来事と公共の歴史とが重なることもときに起こりうるでしょう。ハイデガーも『存在と時間』では「現存在の歴史性」と公共的な歴史としての「世界歴史」とを区別していましたが、自分自身を歴史的に位置づけることは、それほど単純ではありません。「黒ノート」では、そうした自己自身と歴史の関係をめぐる思考も繰り返し試みられています。
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