齋藤元紀 講演会載録 ハイデガー「黒ノート」の全貌 全三四冊のノートには何が書かれているのか|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年6月28日 / 新聞掲載日:2019年6月28日(第3295号)

齋藤元紀 講演会載録
ハイデガー「黒ノート」の全貌
全三四冊のノートには何が書かれているのか

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第7回
形而上学的ユダヤ性

こうした計算的思考を代表する人間類型として、ハイデガーは「ユダヤ性(Judentum)」もしくは「世界ユダヤ人性(Weltjudentum)」といった言い回しを用いています。前述の「黒ノート」スキャンダルは、こうしたユダヤ人をめぐる一連の発言に起因するもので、おおよそ三八年六月から終戦を挟んで四八年までの十年間に、ごくわずかながら登場します。研究者の間でもそれら発言をめぐる見解は分かれていますが、しかしまず大前提として揺るがせにできないのは、ハイデガーがナチズム流の人種主義や生物学的人種主義の立場をとっているわけではない、という点です。四一年頃と思われる「黒ノート」の「考察ⅩIV」では、「世界ユダヤ人性の役割への問いは、人種的な問いではなく、人間類型への形而上学的な問い」だと言われています。ハイデガーはこの時期すでに「形而上学」を、先に見たような計算的思考を体現するものとして批判していましたから、ここでハイデガーが言わんとしているのは、「世界ユダヤ人性」というのは、計算的思考を体現するタイプの人間、打算的にものごとを見極めて小利口に振舞う輩、といったところでしょう。

さらにユダヤ人をめぐっては、計算的思考に加えて、「根無し」や「地盤喪失性」といった表現も用いられています。根ざすべき場所をもたず、世界のどこにおいてもものごとを計算的思考で処理してゆく歴史的運命を体現する者の性格が「ユダヤ人性」だというわけです。

たしかにハイデガーは、フッサールやフロイトといったユダヤ人への批判も、「形而上学」や計算的思考たる「作為」、そして「ニヒリズム」に基づくものだとも言っています。そればかりでなく、「根無し」は啓蒙主義、専制主義、個人主義、アメリカ主義に対しても言われていますし、「作為」は諸学問、マスコミ、国家社会主義、キリスト教、アメリカ、イギリス、ボルシェヴィズム、共産主義、そしてヨーロッパ化した日本に対してすら言われています。それゆえハイデガーを、いわゆる「反ユダヤ主義」と考えることはできません。実際「黒ノート」の「注記Ⅱ」では、「愚か者への註」と題して、自らの考察がいわゆる「《反ユダヤ主義》とは無縁」であり、そうした「《反ユダヤ主義》なるものはじつに馬鹿げていて、明らかに非難すべきものである」とすら述べています。しかしこの文言が戦後の四六年頃のものと推定される点からすると、いささか判断は微妙になります。「世界ユダヤ性」や「ユダヤ性」という発言の真意が、あくまでも右のような「形而上学的」な「人間類型」にあるのだということを認めるとしても、ではなぜことさらに「ユダヤ人」という現実の人種との関係性を引き合いにしなければならなかったのか、という問題はやはり残ってしまうからです。ハイデガーは四二年頃には「ユダヤ的なもの」は最終的に「自己無化」を引き起こすのだとも言っています。ホロコーストとの直接の関係は不明ですけれども、根無しの計算的思考を推し進めた末路は自己崩壊しかない、というわけです。

これに対して、形而上学的な計算的思考とは異なる思考、原存在に応じる思考を、ハイデガーは詩作を最上位に置く思考として捉えます。三十年代初頭から次第に確立されていくこの構図を担うのは、「ドイツ的なもの」とされています。四十年代初頭くらいまでは、ドイツ的なものは、生ける地盤に根ざし、新たな創造的詩作のもと、新たな思考を作り出すことができると、強い期待をかけてハイデガーは語っています。しかし、戦後の四六年頃には、ドイツ人の「自己無化」についても語られています。敗戦の結果、ドイツ人の思考は計算的思考と化し、自己崩壊に至ることになるというわけです。いずれにせよ、ここには「敗戦」という現実との呼応関係を読みとることができます。

こうして見てくると、ハイデガーは決して現実から遊離した思考を展開していたというわけではまったくなく、むしろ徹底的に現実に即して共同体、ひいては存在の問題を考えようとしていたということ、しかもそこで現実的かつ具体的な生の基盤としての地盤性や土着性に非常に強くコミットしようとしていたことがわかってきます。そうした原存在史的思考は、いわゆる超越論的思考とは違って、現実的経験をむしろ積極的に引き込み、その背景の歴史的次元へと迫ろうとしているのですが、しかしそれによってかえって、現実的経験における事柄を、存在論的ないし原存在史的な次元へと捩じれたかたちで導入せざるを得なくしてしまったのではないでしょうか。
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