松本清張 寄稿他 “黒い霧”は晴れたか ――松川裁判を傍聴して 『週刊読書人』1961(昭和36)年8月21日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年6月30日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第388号)

松本清張 寄稿他
“黒い霧”は晴れたか ――松川裁判を傍聴して
『週刊読書人』1961(昭和36)年8月21日号 1面掲載

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1961(昭和36)年
8月21日号1面より
1949年8月17日に東北本線松川駅付近で発生した列車脱線転覆事件である松川事件は、戦後の国鉄をめぐって起きた3大事件の一つといわれ、事件の衝撃は戦後復興を進める日本社会に大きな爪痕を残した。同時にこの事件をめぐる裁判の判決、司法の在り方をめぐって、作家の広津和郎をはじめ、広津に賛同する文壇人らが異議の声をあげ、被告人を支援するなど、日本の出版界に多大な影響を与えたことでも知られている。

1961年8月8日、仙台高等裁判所で行われ、20名の被告人全員に逆転無罪判決がくだされた歴史的な差し戻し審には、広津や『日本の黒い霧』で本事件を描いた作家の松本清張が傍聴席に座り、審判の行方を見守った。本稿では松本清張が刑事法廷内の経過を綴った寄稿文と、作家の吉岡達夫が裁判当日の広津和郎の1日を追ったレポートを掲載する。(2019年編集部)

第1回
陰の演出者は何処に ――暴露した“作られたもの”の矛盾[前]

松本 清張氏

【イントロダクション】
 
仙台の裁判所の法廷は蒸し暑かった。天井に四つの扇風機がゆるやかに回っている。このテンポに合わしたように、門田裁判長の判決理由の朗読も平板な調子だった。それにマイクの調子が悪い。

声は聞き取りにくい。二時間にもわたる朗読なので、どうせあとから判決要旨が印刷物となって配布されるからという気持もあってか、傍聴席も、弁護人席も、弛緩した空気が流れた。「被告人らはいずれも無罪」という主文のあとだから、緊張が解けている。ただ、検察官の席だけは、裁判長の読み上げる理由に聞き耳を立てていた。

ところで、私は、この古めかしい荘重な建物の、ステンドグラスを通して聞こえる外の拍手と喊声と演説とに或る種の思いをしていた。


【手際良い構成の門田判決文】
 
裁判長の声が象徴する平穏な裁判の進行と廷外の喊声とはドラマ的なものを構成していた。

私は、この判決が「全員有罪」と出たら、いや、「一部有罪」と出ても、外の喧噪はどのように変るであろうかと考えていた。新聞社のヘリコプターの爆音が裁判長の低い声を消したが、恰もこれに似たような爆発音が外に起らなかったとはいえない。「万歳々々」という外の声は、どのような大声に変ったであろうか。

また、主文がいい渡された瞬間に傍聴席が見せた感激風景は、全く逆な現象を呈したに違いない。弁護人席の笑い顔は、多分、蒼ざめた顔で占められたことであろう。

――判決理由の要旨は、すでに新聞にも報じられているので、ここには詳しく触れない。ただ、門田判決は、意外に検察陣の鋭い調子を含んでいた。ある時は、明らかに捜査の行き過ぎを非難し、弾劾とさえ思われる文句があった。このことは、逆に弁護人に対して好意的な叱咤ともなって現れた。例えば、二番目の実地検証のとき、八月十六日の月齢に合わせないで、ひと月前の七月の月齢下で行ったことに対し「かかる非科学的な検証を突かなかったことは弁護人の怠慢である」と言ったり、また、「赤間自白」について「検察官はせっかく右の重要点を明確にしながら、遂に赤間を再び取調べようとはしなかった。遺憾のきわみである」と言う一方、「弁護人は、当審に現れた動かすことのできない新証拠に基づいて、このような重要問題に対する証拠批判を忘れている」と切り返したごときである。

判決前、巷間に噂されていた一部有罪説は、完全に予想を裏切った。門田判決は、まず「本田アリバイ」を立証し、次に「高橋アリバイ」を認めている。本田の場合は、犯行当夜、国鉄労組の事務所に酔って寝ていたのだが、これに多数の目撃者があった。検察側は今まで目撃者の証言をいろいろな解釈の仕方で否定していたが、今度の判決では初めてそれが認められた。また、「高橋アリバイ」は、当夜、妻と共に就寝していたにも拘らず、妻の証言は信憑性がないという法的な立場からこれが認められなかったのに、今度の判決では、階下に寝ていた家主(高橋は二階借だった)の証言や、二度目に降ったという霧雨のこと、並びにこれまで検察側が無理にこじつけていたラジオの故障の点などを明快に推理して、同被告のアリバイを立証した。門田判決文の構成はなかなか手際がよい。

なぜなら、すでに本田と高橋とのアリバイが成立する以上、この二人と一しょに鉄道破壊をしたという「赤間自白」は崩壊するからである。さらに、前記三人と共同して破壊作業を行ったという東芝側の佐藤(一)、浜崎の実行行為も解消してしまう。つまり、実行組のうち、まず二人を取除くことによって、自らあとの三人が崩れてしまうという仕組みだ。もちろん、その前提に立つ連絡謀議などは雲散霧消する。

【事前にきまっていた“犯人”】
 
ところで、私は今度の判決理由を読んで、全被告が事件前すでに捜査当局リストに上っていたという感をいよいよ深くした。以前、拙著『日本の黒い霧』の中でこの松川事件のことを書いたが、今でもその感想に変りはない。ここにはそれを詳しく繰返さないが、要するに、当時の政治的、社会情勢のなかで、被告たちは捜査当局によって早くからマークされていたとしか思えないのである。まず、赤間という当時十八歳の不良少年を捕まえて、強制的に当局の作った筋書きによって「自白」をさせ、彼の口から次々と「犯人」を捕えて行った手際のよさは、事前に当局にその「候補者」があったと想像されるくらいである。「赤間自白」はこの事件のカナメ(門田判決文)だが、赤間の口から次々に「犯人」が誕生したのを、裁判長は「アダム、イヴ」という洒落れた比喩を用いている。しかし、実際のアダム、イヴは赤間ではなく、彼を操って自白させた玉川警視などではなかろうか。

松川事件は、捜査のズサンが多くの人によってよく指摘されている。しかし、これは作られた事件の最初の構想がズサンだったのだ。端的に言うと、設計家は、これほど厄介な縺れ方をするとは思っていなかったであろう。当初の狙いは素朴な形であったろうし、こういう構想で押切れると思っていたのであろう。

しかし、もともと、それが作られたものであるから、いろいろな矛盾が出てくる。その矛盾やミスを糊塗するために、捜査当局は、或いは検察側が補強工作をしたのだと思う。ところが、無理な作りごとだから、この補強工作も新しい矛盾となって現れてくる。それをまた修正しなければならないために、さらに無理が重ねられたと思う。このような工作が検察陣によっていろいろな証人を出したことになり、そのボロが各証言の食い違いとなって現れたのであろう。こういう積み重なりが「証拠関係は尨大で、且つ錯雑多岐を極めたマンモス事件」(判決文)というふうに巨大なものに膨れ上ったのである。 

差戻し審によって、検察側は多くの新証拠を提出したが、その主要なものは、ほとんど初期の捜査段階における記録であった。ところが、この中からかえって、被告団の謀議についてはもとより、実行行為について、「確信するに足る心証の形成からはほど遠い結果となった」のは、右に述べた無理算段を証明する。
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