女たちのテロル 書評|ブレイディみかこ(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月5日 / 新聞掲載日:2019年7月5日(第3295号)

女たちのテロル 書評
「地べた」からの視線、 「身体と思想」の一体化したあり方
彼ら彼女らが見た夢を百年後の未来で試みる

女たちのテロル
著 者:ブレイディみかこ
出版社:岩波書店
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「おめえはちょっと左翼っぽいからすぐそういうことを気にするけど」

著者であるブレイディみかこが、アイルランド人の配偶者からそう言われるくだりが『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にあってちょっと笑ってしまった。ブレイディさんは、まあ、たしかに左翼だよな。

十一歳になる息子(本書の主人公である)がワールドカップの応援で日本代表に入れ込んでいる姿に、
「なんかあの子、血とか言い出してるんだよね。民族主義に傾いてんのかな」

とブレイディが示した懸念を、配偶者はそういなしたのだった。ブレイディ一家はイギリス南端のブライトンで暮らしている。ブライトンは労働者の街だ。
『ぼくはイエロー~』は、中学生になった息子の一年半の生活を通して、英国の中学校、および中学校付近の「荒れている地域」が直面している問題について綴ったエッセイである。

息子は、市のランキング一位の名門公立カソリック校から、「元底辺中学校」へ進んだ。その小学校からは、やはりランキング一位のカソリック中学校に進むのが当たり前なのに、彼はあえて元底辺校を選んだ。

音楽やダンスなど子供がしたいことをできる環境を整えたら学業の成績も上がったという、現在はランク中位につけている元底辺校を、まず気に入ったのは母親のブレイディだったが、配偶者は反対していた。生徒の九割が白人の英国人という元底辺校で、人種的には白人ではない自分の息子がいじめや差別に遭うことを心配したのだ。

白人労働者階級の多い居住区の学校へ子供を通わせるのを移民たちが避けるため、「人種の多様性があるのは優秀でリッチな学校」で、「元底辺中学校のようなところは見渡す限り白人英国人だらけ」という、一昔前とは反転した奇妙な「多様性格差」が近年は生じているという。

だがそもそも、労働者の街に「リッチ」な人々が住んでおり、彼らの子息が通うための「リッチな学校」があるというのも妙な話だ。一方で、ブレイディ一家が住む「荒れている地域」よりさらに「ヤバい」一角もある。こうした分断と地域内格差が生まれたのは、かいつまんで言えば、サッチャー政権以降の緊縮政策によるツケである。

社会レイヤーの複雑化がレイシズムの多様化を招いて、移民が別の移民を差別し、白人英国人がそれに荷担するというような構図も出てきている。

そんな複雑な小社会で起こる難しい問題に、息子は正面からぶつかって、ひとつずつクリアしていく。その姿の活き活きとクレバーなこと! ときに母のほうが教えられたりして。
「きっと息子の人生にわたしの出番がやってきたのではなく、わたしの人生に息子の出番がやってきたのだろう」

緊縮と移民で揺れる英国の小社会と地域を背景に持っている点で、この『ぼくはイエロー~』は、著者の出世作の一つである、荒廃する無料託児所をそこで働く保育士の視線から描いた『子どもたちの階級闘争』の続編にあたる。

そればかりじゃない。息子や配偶者をはじめ、息子の級友や、謎めいた黒人美少女(ソランジュ似!)などなど、登場人物たちがみんな魅力的に活写される語り口が何より続編的なのだ。人種差別的な移民のダニエルや、「ヤバい」高層公営団地に住むいじめられっ子のティムだって魅力的に映るのは、ブレイディの「地べた」からの視線が、彼らを悩み足掻く同胞として包み込んでいるからだろう。
同時期に発売された『女たちのテロル』は、約百年前に、自分たちを縛る国家や社会、道徳や制度と激しく闘い生きた三人の女をめぐる評伝的エッセイだ。

金子文子は、二十三歳で獄死した無戸籍の虚無主義者にして無政府主義者である。やはりアナキストである朝鮮人の夫・朴烈と皇太子爆殺を企てたとして大逆罪で死刑判決を受けた(後に無期懲役に減刑。天皇の恩赦とされる)。

エミリー・デイヴィソンは、十九世紀末から二十世紀初頭にかけてのイギリスで、女性の参政権を求めて闘ったサフラジェットのなかでも、とりわけ過激な武闘派として鳴らした人物である。当時のタブロイド紙には「怖いもの知らずの女。本籍地はハロウェイ刑務所」などと書き立てられたそうだ。最後には、競馬場で国王の馬の前に女性社会政治同盟(WSPU)の旗を手に飛び出し、撥ねられて死んだ。

マーガレット・スキニダーは、アイルランド独立を求めるイースター蜂起で、「生きる主権は我にあり」と闘った凄腕のスナイパーである。女に危険な真似をさせるわけにはいかないと日和る男性指導者を説き伏せて参加した重要ミッション遂行中に、敵弾を三発受け倒れた。一命を取り留めた彼女は、アイルランド独立戦争やアイルランド内戦でも戦った。イースター蜂起で負傷した唯一の女性兵士と銘記されているという。

いずれ劣らぬ三人の生き急ぎっぷりを、ブレイディの主観を通して描き出したのが本書となるが、凝った構成にまず目が留まる。三人の人生をいくつかの断片にスライスしてシャッフルし、キーワードをハブに数珠つなぎのようにしてあるのだ。この仕掛けによって、彼女たちが、国を違えながらも同時代に闘った女たちであることが強く印象づけられる。

自由と自立と平等をあくまで求めた三人の女に、ブレイディは「呼ばれた」と書いている。「ガールズ・コーリング」と。そして、どんなふうに呼ばれたか、そのエピソードを披露している。

ただし「金子文子に関しては、ここに書けるようなエピソードは何もなかった」と言う。だが、割かれたページ数は一番多いし、ある意味では金子文子にもっとも呼ばれていたように見える。実際、前著である『いまモリッシーを聴くということ』にも、「モリッシーと金子文子は、絶望の底で苦笑しているところが似ているのだ」と書いていたりする。

金子文子の思想の核心にあるのは、徹底した平等思想である。無政府主義もここから導かれる。

ブレイディみかこをアナキストと目している人もいるだろう。でも私見では、破れかぶれなメンタリティに近しいところはあるにせよ、彼女はアナキストではない。政治の機能を見切っていないからだ。反緊縮を訴えている姿からもそれは明らかである。
「地べたと机上を分離するな」。ブレイディは金子文子の思想をそう要約している。むしろこの、身体と思想の一体化したあり方に、重ね合わせるべきものを見ているのではないか。

また、金子文子のように、人間をろくでもないものと見切ってもいない。でなければ、ともすれば陰惨になってもおかしくない『ぼくはイエロー~』を、登場する人々がみんな魅力的で、希望を感じさせる作品に仕上げるなんて、できるはずがないからだ。

二十三歳で死んだ金子文子について、ブレイディは最後に、「これからどんな本を書いた人だっただろう。/これからどんな思想を残せた人だっただろう」と書いている。あるいはブレイディみかこは、金子文子が残すべき本や思想の代筆を、百年後の未来で試みているのかもしれない。そんなことを思った。(くりはら・ゆういちろう=評論家)
この記事の中でご紹介した本
女たちのテロル/岩波書店
女たちのテロル
著 者:ブレイディみかこ
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー/新潮社
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
著 者:ブレイディみかこ
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」出版社のホームページはこちら
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