連続トークイベント「今なぜ批評なのか」第3回 昭和・平成・令和――改元直後に、天皇・天皇制・皇室について考える 小谷野敦×綿野恵太|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年7月5日 / 新聞掲載日:2019年7月5日(第3295号)

連続トークイベント「今なぜ批評なのか」第3回
昭和・平成・令和――改元直後に、天皇・天皇制・皇室について考える
小谷野敦×綿野恵太

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 五月一七日、東京・神田神保町の「読書人隣り」で、連続トークイベント「今なぜ批評なのか―批評家・綿野恵太が、12人の知性に挑む」第3回が開かれた。ゲストは作家・評論家の小谷野敦氏。テーマは「昭和・平成・令和―改元直後に、天皇・天皇制・皇室について考える」。その模様を載録する。
第1回
天皇制と9条を軸に


綿野 
 改元直後に天皇制について議論したいと考えた時、まず小谷野さんのお話を聞きたいと思いました。『反米という病 なんとなく、リベラル』(飛鳥新社、二〇一六年)で、小谷野さんは、九条護憲を唱える一方で、天皇制を支持する知識人を「なんとなく、リベラル(なんリベ)」と呼んで批判されている。ただ、印象で話しても仕方がないので、生前退位をほのめかした「お気持ち」発言や今回の新天皇即位についての知識人の発言を集めた「論壇人天皇(制)発言集」(以下「発言集」)と、それをもとにした「天皇制論壇マップver.α(以下「マップ」)を作成しました。縦軸に「9条支持―反対」、横軸に「天皇制(1条)支持―反対」として、だれがどこにいるか、パッと見てわかるようにしました。天皇制と九条を軸として採用したのは、密接な関係があるからです。たとえば、小谷野さんが「なんリベ」のひとりとしてあげている、柄谷行人は次のように述べています。「最初に重要なのは憲法1条で、9条は副次的なものにすぎなかった。今はその地位が逆転しています。9条のほうが重要になった。しかし、1条と9条のつながりは消えていません。たとえば、1条で規定されている天皇と皇后が9条を支援している。それは、9条を守ることが1条を守ることになるからです」(「(憲法を考える)9条の根源」『朝日新聞』二〇一六年六月一四日)。9条を守ろうとするとどうしても天皇制に頼らざるをえなくなる、「なんリベ」知識人がたくさん増えた理由がわかります。かつての「改憲」と「護憲」という図式は、図の右上(第一象限)と左下(第三象限)の対立でした。しかし、本当に憲法9条を改正したいなら、天皇制(1条)も変えなくてはならないし、本当に天皇制を廃止したいなら憲法9条も変える必要があるのではないか。憲法をめぐる対立は左上(第二象限)と右下(第四象限)が本来の対立軸だと思います。なるべくエビデンスに基づいてマップを作成しましたが、どうしても間違いや偏見があると思うので「ここに誰々を置くのは間違っている」とか「天皇制や9条の考えを改めている」というひとは、自己申告でも他者申告でもかまわないので、どんどん言ってきてほしいですね。そのたびに修正して完成させます。そのための「ver.α」です。
小谷野 
 昨年『文學界』(三月号)に、『とちおとめのババロア』という小説を発表しました。フランス文学を研究している大学准教授が、ネット婚活をして、セックスをした相手が、宮家の皇女だったという話です。物語を通して、皇族には人権がないことを浮き彫りにする、天皇制批判の小説です。発表直後に、石原千秋や栗原裕一郎が取り上げてくれました。ツイッターで感想を呟く人もいて、私の意図をとらえてくれる人が多かった。しかし昨年末、単行本化すると(青土社)、単なるかわいらしい恋愛小説だと思って読む人が多かった。私の本と同じ時期に、赤坂真理の『箱の中の天皇』が『文藝』に掲載されたんですが、前作『東京プリズン』につづいて、これが評判になった。毎日新聞でも、なぜ時評をしているのか謎の田中和生が絶賛していました。
綿野 
 「わが国において、憲法を、国家権力を抑制するためにあると本気で信じている人は、少ない。けれど、この天皇はそれを「体現」しようとしたのではないか。日本の軍隊が傷つけた人々の地を慰問した。言いたいことを、言えない状態で。その孤独な戦いを思います。そのことに、今、感動を覚えます」(『箱の中の天皇』)。象徴天皇制に献身し、犠牲になった存在として「おいたわしい」と、明仁の人格や徳に感銘を受けるという天皇肯定論ですね。
小谷野 
 最後に天皇とやりとりをするんですが、そこで象徴としての「空」の重さがあることを、主人公は知る。仏教的な感じもあって、天皇には価値があるかのような終わり方をしています。私には、よく意味がわからなかった。
綿野 
 『とちおとめ』の天皇制批判の論理は、すごくシンプルで理路明快ですよね。ひと言でいえば、天皇制は人権思想と矛盾する身分制度である、と。
小谷野 
 でも、左翼の人があまり褒めてくれない。絓秀実には「私は「あり」だと思いますが、反天皇の人は戸惑っているんじゃないか」と言われました。「あり」というのは、積極的には推さないということです。大杉重男もブログで書いてましたね。セックスシーンの描写が手抜きであり、もっと詳細に描くべきである、どこか天皇制への自主規制が働いているのではないかと。渡部直己の『不敬文学論序説』でも、近代小説に対して、とにかく天皇・皇室への描写が足りないと批判していた。どうも、この人たちの物言いを読んでいると、不敬文学でなければ天皇制批判にならないと思っている向きがあると思いますね。それは違う。たとえば中野重治の『五勺の酒』みたいなやり方がある。私は、あのラインで書いている。
綿野 
 『とちおとめのババロア』の読者は必然的に眞子と小室圭の結婚問題や佳子ブームを想起するはずですが、皇族であるヒロインは読者が恋い焦がれる「情動」の対象になってない感じがしました。藤枝静男も書いていますが、中野重治『五勺の酒』は、共産党の立場から天皇制をボロクソに書いていた中野が、志賀直哉にブチ切れられて反省して書いた小説ですよね。天皇制批判の小説として知られますが、中野がいう「天皇個人にたいする人種的同胞感覚」は、いまや「おいたわしい」という天皇への国民の感激や憐憫になって、天皇制を支えているのではないか。「おいたわしい」と哀れに思うがゆえに、天皇制を人権に即したものにしよう、という木村草太みたいなトンチンカンな議論が出てくる。「皇室典範では天皇に決定権がないうえ、人権条項も適用されない。そんな法形式を認めている以上、内閣や国会、国民には、天皇に過度の負担をかけず、できるだけ人権に配慮する責任がある。天皇陛下が退位をにじませたお気持ちを表明したのは、我々が責任を果たさなかった結果だ。そこまで追いつめてしまったことを反省し、陛下の問題提起に向き合うべきだ」(「特例法、違憲の疑い残る」『朝日新聞』二〇一六年一二月二一日」)。たいして、『とちおとめのババロア』は天皇皇族を恋い焦がれたり、「おいたわしい」と哀れに思うような、国民的な情動の対象として描かなかった点が強みである気がします。『不敬文学論序説』では、天皇はタブーだからこそ「描写しろ」と言われていました。しかし、ネットや週刊誌などの天皇・皇族をめぐる言説を見ればあきらかなように、「不敬」は天皇制に国民的な感情や情動をかき立てる装置となっている。結局のところ、「不敬」とは「おいたわしい」という国民的な哀れみの裏返しにすぎないのではないか。その意味では、むしろ、石原慎太郎的な無関心のほうが興味深い気がします。「私は陛下より1つ年上だが、それでも頑張っている。本当に陛下には、もうちょっと頑張っていただきたい」(「BSフジ「プライムニュース」二〇一六年七月一三日」)という発言とか、天皇にたいしてなんの興味もない。
小谷野 
 石原はドゴール主義ですからね。強権を持った大統領が国を導くのを理想にしていて、自分が大統領になりたかった。そうなると天皇は邪魔になる。その関連でいうと、百田尚樹も天皇にあまり興味がない。単に嫌中・嫌韓の人であり、いわゆるネトウヨの中には、天皇について一切考えていない人が結構いる。大塚英志が昨日「平川祐弘と百田が一緒にいるのは変だ」と、ツイッターで批判してきたのは、そのことを言っていたんだと思う。平川と百田では、天皇に対する興味がまったく違うから。ただそういうウヨクの中でも、特に在特会は面白いんですよ。在日コリアンに対して、「国籍のない特権階級」だと言っている。そのまま天皇・皇族にあてはまる言葉です。絓さんが、その言葉を取り上げて、「むしろ在特会に期待する」と言ったことがあります。面白い意見ですね。
綿野 
 たしかに桓武天皇の生母が渡来人の末裔であることを公言するリベラルな天皇と、在特会は必然的に対立するでしょうね。
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