中平卓馬をめぐる 50年目の日記(13)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年7月9日 / 新聞掲載日:2019年7月5日(第3295号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(13)

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宣言通り中平さんは勤めをやめた。

写真家に転身したわけだが、とは言っても生計に結びつく仕事は何もない、いわば「丸腰」の状態からの始動である。

翻訳の仕事で初期を凌いだ。評論家・フリージャーナリストの丸山邦男さんら数人が渋谷桜ヶ丘の住宅街にあるマンションの一室を仕事場・共同事務所としていたが、日中はいつも空室だった。だから中平さんはそこを翻訳の仕事場として使わせてもらった。

丸山邦男さんは天皇制批判論をはり、論壇にあっても孤高を恐れずといった感じの気骨ある論客。編集部まで原稿を届けに来たある日、いつもの喫茶店に中平さんと一緒に私も誘われたことがあった。逗子の隣の鎌倉に住んでいる丸山さんはその時、「今度の日曜日にでもちょっと鎌倉で時間をつくってくれないか」と話し始めた。私にまで「ヤナギモトさんはあのお姉さんの弟さんですってね。弟さんも一緒にお願いできないかな」と言う。

聞くと、高校生の娘が週末ごとにアルバイトをしてみたいと言うので始めさせた。けれどもそこは鎌倉駅前の大きなパーラー。ちゃんと仕事が出来ているかが心配でならない、一度こっそり立ち寄ってみたいのだが一緒に行ってくれないか、と言うのである。

もちろん私たちにはお安いご用だったのでそれを引き受け、週末に何気なくふらっと立ち寄った風を装って三人でその店に入った。娘さんはすぐに気づいて私たちを席に案内してくれ、注文を受けるのも慣れた様子で上手に仕事をこなしている。丸山さんは緊張して店内を見渡すこともしなかったが、中平さんが「いいお嬢さんですね。きちんと出来ているし心配ないですよ。それにこの店は老舗のフルーツパーラー、いたって健全なところですから」と伝えると、やっと「父」は頬を緩めた。

丸山さんと別れて逗子に戻る道すがら、中平さんは「あのはにかみようがいいでしょ。凄い人はきっとああいう真逆さをもっているね。ずっと一人で書き続けている人なんだから」と、丸山さんへの敬意と自分も倣わなくてはという気持ちに加え、フリーの写真家になってしまった自分を鼓舞するように言った。

逗子に泊まった翌日は私も一緒にその事務所に「出勤」した。そんな日がよくあった。

渋谷へは横須賀線で品川経由だったが、中平さんは夏ならよく大船駅のホームにある売店でアイスコーヒーを買った。

大船ではたいがい湘南電車との兼ね合いで他の駅より少し長く停車した。中平さんは素早くホームに出てその売店でコーヒーを買い、紙コップを両手にもってこぼさないように腰を下げ気味、すり足の早足で車内に戻ってくる。その売店は、おでんもあればコップ酒をやることもできる、小さなカウンターを外にしつらえた居酒屋のような店だった。疲れて渋谷から戻る時にはよく「降りよう」と声がかかり、そこでビールやコップ酒をしばしやった。翻訳の仕事というのは私には分からない疲れをもたらすもののようだった。
「自分が何者なのか、ふっと分からなくなる仕事だしね」と、その特殊なストレスのかかりかたを聞いたこともある。

渋谷の事務所へは半年もしないうちにほとんど行かなくなった。写真の仕事が始まって、タイプライターの前に座り続けていることが出来なくなってきたからだ。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)    (次号へつづく)
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