宮沢賢治(1913) はだしにてよるの線路をはせきたり汽車に行き逢へりその窓は明るく|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2019年7月9日 / 新聞掲載日:2019年7月5日(第3295号)

はだしにてよるの線路をはせきたり汽車に行き逢へりその窓は明るく
宮沢賢治(1913)

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鉄道文学の金字塔といえば『銀河鉄道の夜』であるが、宮沢賢治は十代の頃に、先輩石川啄木の影響で短歌も書き残している。その中には汽車が詠み込まれているものもあり、『銀河鉄道の夜』のひな形を少しばかり思わせる。「はせきたり」とは「馳せ来たり」で、「駆けて来た」の意。居ても立ってもいられなくなって裸足で夜の線路を走っていったら、汽車と行き逢った。その窓が明るかった、という情景である。うーん、危ないぞ、賢治。

裸足で夜の線路を駆けてゆくというイメージがなんとも『スタンド・バイ・ミー』感にあふれているけれど、大正時代にこの映画的な感覚をつかまえてみせたのは結構すごい。でも、演出過剰な印象もなくはない。さすがに、本当にこんな体験をしたとはちょっと思いにくい。この短歌は後に文語詩として書き直されており、片想いを綴った詩となっている。明るい窓の向こうには、叶わぬ恋の相手がいたようだ。肥厚性鼻炎の手術で盛岡市の岩手病院に入院したときの看護婦・高橋ミネがその相手といわれている。

賢治と馴染みの深い鉄道といえば、花巻電鉄と岩手軽便鉄道である。花巻電鉄は1970年代に廃線となり、現在はバス路線に転換。岩手軽便鉄道は現在のJR東日本釜石線に相当する路線を通っており、『銀河鉄道の夜』のモデルはこちらとされている。しかし掲出歌のモデルはどちらでもなく、高橋ミネのいる盛岡へとつながっている東北本線だったのかもしれない。(やまだ・わたる=歌人)
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