安部公房 寄稿 “三島美学”の傲慢な挑戦 ――映画「憂国」のはらむ問題は何か 『週刊読書人』1966(昭和41)年5月2日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年7月7日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第623号)

安部公房 寄稿
“三島美学”の傲慢な挑戦 ――映画「憂国」のはらむ問題は何か
『週刊読書人』1966(昭和41)年5月2日号 1面掲載

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1966(昭和41)年
5月2日号1面より
作家の三島由紀夫氏が、原作・脚色・製作・監督・主演の一人五役で製作した映画「憂国」は四月十二日、アート・シアター系で封切られ話題をよんでいる。二・二六事件を背景に一軍人とその妻の愛と死を題材にしたこの映画は、“三島美学”の映像化として注目されるが、このほど新潮社からも原作・シナリオ・製作意図とグラビア写真69葉入りの『映画版・憂国』(一五〇〇円)も出版されたので、作家の安部公房氏に、この映画のもつ問題いついて執筆してもらった。(編集部)
第1回
愛と死の悲劇的結合

安部 公房氏
この作品に接してぼくが感じたのは、あたかも双曲線のように決して触れあうことのない、まるで相反する二つの感情だった。軌跡の一つは、ほとんど羨望にちかい共感であり、いま一つは、やりきれないほどの苦痛と反感だった。ぼくにはこの二つの矛盾した感情を、どうしてもすぐには統一することができなかった。

だから、作者から意見を求められたときも、かろうじて次のような疑問を呈することが出来ただけである。

――あの象徴的な主題の背景が、なぜ二・二六事件でなければならなかったのか、ぼくにはさっぱり分らない。職業軍人を理念化していけば、愛と死の悲劇的結合は、むしろ日常のなかに常にひそんでいるはずのもであり、とくに二・二六事件である必要はなかったのではあるまいか。

残念ながら、作者がなんと答えたかは、記憶にない。たぶん、答える必要なしとみて、黙殺してしまったのだろう。作者の関心は、むしろもっぱら映画作品としての出来映えにあったらしく、ぼくらの話題も、愛と死のそれぞれが占める、構成上の比重をめぐっての問題に終始したようだ。しかし、そうした点については、べつにとなえるべき異論はなかった。愛の処理がごく象徴的であるのに対して、死の処理がきわめて即物的であることも、ぼくはそれでいいのだと思った。作者を知りすぎているための微笑が、完全に透明である部分を、くもらせるようなことがあったとしても、それはこちらの責任であって、作者の関知するところではない。作者の意図は、よくつくされていたと思う。とりわけ、主人公の表情を軍帽で殺し、生をただ妻の微笑だけに託したところなど、なかなかの効果をあげていた。
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