海の乙女の惜しみなさ 書評|デニス・ジョンソン(白水社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月6日 / 新聞掲載日:2019年7月5日(第3296号)

海の乙女の惜しみなさ 書評
太平洋を超え届けられた男たちの「声」
死、後悔、老いの匂い、語るべき物語たち

海の乙女の惜しみなさ
著 者:デニス・ジョンソン
翻訳者:藤井 光
出版社:白水社
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 本書が翻訳されると聞いて発売を待ちわびていた。表題にもなっている『海の乙女の惜しみなさ』という短編は、とある翻訳教室の課題だった。私たちが主人公である元広告マンの初老の男と一緒にニューヨークの雪の夜の静寂を味わっていたまさにその頃、アメリカでジョンソンは癌のためこの世を去ったということだった。      

ジョンソンの遺作となった本書は、五つの物語から成る短編集で、一九九二年の『ジーザス・サン』に続く二作目の短編集となる。アメリカの小説は「声」で読ませる(らしい)。本書を翻訳した藤井光によれば、デニス・ジョンソンは、「社会的あるいは精神的な泥沼に陥り、もがき、救済を求めるアメリカ人の『声』を言葉として定着させ、美に昇華させてみせた」作家とのことである。アメリカではカルト的な人気を博している作家で、日本にも熱烈なファンがいることだろう。だけど、翻訳教室での不思議な出来事がなければ、冴えないおじさんやジャンキーの話かと本書を手に取らなかった可能性が高い(ジョンソン、ごめんなさい)。同じように感じた方がいれば、読まず嫌いをしないでほしい。気がつけばページから目を離せなくなる。そして、ジョンソンによって命を吹き込まれた五人の男たちの声は、知らぬ間に、読者の心に読者と男たちとを結びつけるかぎ針のようなものをくくりつけている。

五人の語り手が置かれた状況は様々であるが、ジョンソンが自分の死をも予見していたのだろうか、どの物語にも死、後悔、老いの匂いが漂う。表題の『海の乙女の惜しみなさ』の語り手は、ニューヨークの広告代理店で働いていた元広告マンの初老の男だ。かつてはバリバリ仕事をしていたと推測されるが、野心と不眠症を捨て、西海岸に移住する。それなりに悪くない人生だ。でも、人生に一点の曇りもないとばかりに輝く西海岸の日差しとは裏腹に、人生の後悔や不安のようなものが男につきまとう。かたや、アルコール依存症のリハビリセンターに入所中の男は、家族や友人に宛てた手紙を通して、滅茶苦茶な自分の人生を語る。「自分の惨めな過ち」は、「自分の二本の足でしっかり立って受け止めるんだよ」とは「ばあちゃん」の言葉。

若いとき、人は夢や野心に向かってがむしゃらに進む。途中何らかの成功を得るかもしれないけど、みんながそのままずっと走れる訳ではなく、そのレースから離脱する者も出てくる。病気、老い、自分の限界、アルコールや薬物による中毒のため。もしかしたら家族を優先したためかもしれない。気がつけば「『明るい未来』がある種の輝きを与えてくれた頃」はもうない。そんな人間はつまらないだろうか。そこに語るべき物語なんてないのだろうか。じっと目をこらしてみれば、そのうらぶれた姿に、ボロボロの姿の中に、かすかに残された「打ちのめされても崩れないその気高さ」があるということをジョンソンの男たちは教えてくれる。不安にかられ、自国ファーストを声高に叫び、他人の責任に帰するよりも、自分の人生を受け止め、最期のときまでその気高さを忘れないように生きていきたい、そんな風に思えてくる。

先ほどジョンソンは死を予見していたのではないかと書いた。こんなギクリとする一文があった。「世界は回り続ける。これを書いているのだから、僕がまだ死んでいないことは明らかだろう。だが、君がこれを読むころにはもう死んでいるのかもしれない」。彼の死後も世界は回っている。だけど、そこには彼の残した物語がある。彼の生み出した声は、はるばる太平洋を超えて日本まで届き、私たちの心に刻みつけられている。この広い世界でジョンソンの物語に出会えたことに感謝したい。そんな風に思える作品だ。
この記事の中でご紹介した本
海の乙女の惜しみなさ/白水社
海の乙女の惜しみなさ
著 者:デニス・ジョンソン
翻訳者:藤井 光
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
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