プレイ・マターズ 遊び心の哲学 書評|ミゲル シカール(フィルムアート社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 読書人紙面掲載 書評
  4. 学問・人文
  5. 哲学・思想
  6. プレイ・マターズ 遊び心の哲学の書評
読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月13日 / 新聞掲載日:2019年7月12日(第3297号)

プレイ・マターズ 遊び心の哲学 書評
伝統的な人文学とゲーム・スタディーズをつなぐ珠玉の一冊

プレイ・マターズ 遊び心の哲学
著 者:ミゲル シカール
翻訳者:松永 伸司
出版社:フィルムアート社
このエントリーをはてなブックマークに追加
われわれの日常は、さまざまなビデオゲームとゲーミフィケーションにあふれている。ゲームが二一世紀の支配的な文化形態になるとする展望は、なにもエリック・ジマーマンに限ったことではあるまい。そんな時代に、本書はあえて「ゲームは、遊びの単なるひとつのあらわれ」と公言し、ホイジンガとカイヨワに代わる「遊びの理論」を素描している。

とはいえ、著者のシカールは、『コンピューターゲームの倫理学』(二〇〇九年)の著者でもあって、『バイオショック』や『ワールド・オブ・ウォークラフト』などゼロ年代以降のビデオゲームに一家言をもつ人物なので、一筋縄では行かない。本書に登場するのは、バンダイナムコの「のびのびBOY」、AppleのSiri、ウェブ上のガジェットやアートプロジェクト(Horse_ebooksなど)であって、著者の言葉を借りるなら、ビデオゲームやボードゲーム、スポーツ、アクティヴィズム、クリティカル・エンジニアリング、インタラクションデザイン、おもちゃ、遊び場など、豊富な事例が参照されている。

シカールによれば、「遊ぶことは、世界のうちに存在すること」である。遊びが存在様態とされるのは、活動としてのいわゆる遊びとは別に、人間は「遊び心」という態度で、物事に臨むことができるからだ。遊び心の行使としての遊びは、七つのモメントから記述されるのだが、創造と破壊にかかわり、カーニバル的で、物理的もしくは社会的な環境を流用し撹乱するがゆえに、暴力性をはらんでいる。こうした遊びは、芸術に関わる一方で(中世の演劇、ラブレーやセルバンテス、ダダやシュルレアリスム、ジョン・ケージ)、第六章がまるまる割かれているように、政治にも関わる(メタケトルやハクティヴィスム)。

シラーの人間観を継承しながらシカールは、創造性と表現に重点を置く点で、みずからの試みを「遊びのロマン主義的な議論」と位置づける。くわえて、『コンピューターゲームの倫理学』では、情報倫理とともに、徳倫理を手がかりとして、ゲームのプレイヤーが論じられていたことも補足しておこう。その一方で、本書の議論には、従来のゲーム・スタディーズではかならずしも十分に扱われて来なかった「おもちゃ」に着目する過程で、アクターネットワーク理論への参照が認められることも見逃させない。

ゲーム文化が発展し、イェスパー・ユールが言うところの「古典的ゲームモデル」が相対化され、ルドゥス(競技)の内部からパイディア(遊戯)が再び台頭した現代において、本書は、人間とモノの関係を問い直しつつ、「遊びの生態系」における人間の位置を「人文学的」に析出しようと試みている。

ただし、率直に述べると、本書はリジッドな理論書というより、刺激的なエッセイに近い。また、原著についてのいくつかの書評が指摘するように、シカールの慧眼は、独創性より、原注の典拠が示すとおり、ゲーム・スタディーズの内部でこれまで十分に検討されて来なかった豊かな題材や議論を持ち込んだ点にある。その意味で、本書は伝統的な人文学とゲーム・スタディーズをつなぐ珠玉の一冊と言えるだろう。

なお、本書は、MIT PressのPlayful Thinkingシリーズを日本の読者に届けようという翻訳企画の第一弾らしいので、続刊にも期待したい。
この記事の中でご紹介した本
プレイ・マターズ 遊び心の哲学/フィルムアート社
プレイ・マターズ 遊び心の哲学
著 者:ミゲル シカール
翻訳者:松永 伸司
出版社:フィルムアート社
以下のオンライン書店でご購入できます
「プレイ・マターズ 遊び心の哲学」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
立花 史 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 哲学・思想関連記事
哲学・思想の関連記事をもっと見る >