ある少年H わが「失われた時を求めて」 書評|石崎 晴己(吉田書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月13日 / 新聞掲載日:2019年7月12日(第3297号)

ある少年H わが「失われた時を求めて」 書評
「ある少年H」の回想
戦後の時代変遷の証言として

ある少年H わが「失われた時を求めて」
著 者:石崎 晴己
出版社:吉田書店
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「はしがき」でも触れられているように、書名は、妹尾河童著『少年H』にとてもよく似ている。しかし、戦争告発のような、あのベストセラーを想起させるテーマを期待するなら、肩すかしを喰らうだろう。著者は、まったく別個の「ある少年H」を語るのである。

著者がエマニュエル・トッドなど、数多くの翻訳書を出している仏文学者であることは、ここで紹介するまでもないかもしれない。ジャン=ポール・サルトルの研究者でもあり、青山学院大学文学部長などの要職を歴任してもいる。しかし本書は、高名な仏文学者の自己形成の物語ではない。著者は、「はしがき」で本書は「自伝」というよりは「回想」なのだと断っている。たしかに、本書はむしろ戦後の時代変遷の証言なのである。

著者は、もちろん、生い立ちを語らないわけではない。「ある少年H」は、中原街道から少し入ったところにある鋳物工場を経営する裕福な家庭の子どもであり、自由放任主義の父親のお蔭でなに不自由ない生活を送っている。そのような少年の目を通して、紙芝居、流行歌、映画、テレビ、実に雑多な事象が論じられ、戦後の世相と文化が、きわめて微細で豊富な情報と共に取り上げられる。とりわけ印象深いのは「性に目覚める頃」の章だろう。当時の学校教育における「性」、「不純な男女交際」という表現から見える時代の男女観、少年Hの「性」を目覚めさせた映画や日常体験が語られる。読者は、著者の並大抵ではない記憶力に驚かされることになる。

戦後とは、いわば負のビッグバンの爆風が広がっていったプロセスであり、急速に社会が変化していった時代だった。生年が少し違うだけで、同じものが違った角度から体験される。もちろん、戦後世代が共有するものはいくらでもある。たとえば、テレビ番組『パパはなんでも知っている』が回想されるが、そんな米国発のホームドラマを思い出す読者も少なくないのではないか。だが、その受けとめ方は年代によって異なるだろう。

著者の筆裁きは、融通無碍で、口語調に近い。それが「自伝」につきまとうフィクション性を薄め、戦後ビッグバンの爆風を、よりリアルに感じさせてくれる。そして、読者は、等身大の少年Hに親しむことになる。

ところで、私は、中原街道を車で通り抜けることがある。本書を読んで以来、ハンドルを握りながら、近くに少年Hの自宅があったことを思い浮かべてしまう。一般に、誰かがすみついていた場所には特別な空間と時間が刻みつけられている。特に子どもについて、それが言える。子どもが去ったあと、その黄金の空間は市街の変貌とともに煙のごとく消えていくわけだが、大人になった本人の記憶の中にはしぶとく残っている。その記憶に接した読者として、私には、少年Hの亡霊が街道の近辺にいまも徘徊しているように思えてならないのである。
この記事の中でご紹介した本
ある少年H わが「失われた時を求めて」 /吉田書店
ある少年H わが「失われた時を求めて」
著 者:石崎 晴己
出版社:吉田書店
以下のオンライン書店でご購入できます
「ある少年H わが「失われた時を求めて」 」出版社のホームページはこちら
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