ヘンリー五世 万人に愛された王か、冷酷な侵略者か 書評|石原 孝哉(明石書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月13日 / 新聞掲載日:2019年7月12日(第3297号)

ヘンリー五世 万人に愛された王か、冷酷な侵略者か 書評
伝説の武王ヘンリー五世の、歴史上の実像を詳らかにした労作

ヘンリー五世 万人に愛された王か、冷酷な侵略者か
著 者:石原 孝哉
出版社:明石書店
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 中世のイングランドにおいて、ランカスター王家二代目として即位したヘンリー五世(在位一四一三~二二)は、いわば群雄割拠の「国盗り物語」的状況を平定し、休戦中の英仏百年戦争を再開し、フランスにおけるイングランドの覇権を奪還し、病弱で統治能力に陰りのあるフランス王シャルル六世の娘キャサリンと結婚してフランスの王位継承者であることを宣言し、長年の宿敵を屈服させてイングランド人に自信と矜持をもたらした英邁な王であった。それにしても、彼は若いころ、ハルの愛称で親しまれ、大酒飲みの巨漢フォールスタッフなどの不逞の輩と組んで放蕩無頼を重ねるが、国難に直面するや父王の諫めを忠実に守り、艱難辛苦の末に神のご加護を戴き敬虔で、理想的な名君に成長する。やがてヘンリー五世はイングランドにおいて「万人に愛される国王」という異名を持つようになり、それ以降、イギリスが国難に遭遇するたびに、「ヘンリー五世」の名前が鬨の雄叫びとして国民の間に鳴り響いたのだった。 

しかし、このヘンリー五世は、後世の歴史家たち、究極的にはシェイクスピア(一五六四~一六一六)が作り上げたイメージである。

本書は、開口一番、シェイクスピアの歴史劇の登場人物ヘンリー五世は歴史上のヘンリー五世とは別人物である、と述べている。シェイクスピアに限らず、文学作品の登場人物は想像力の産物で、虚像であり、歴史家の詮索に耐えうるものでもないが、時に登場人物が歴史上の人物を圧倒してしまうことがある。歴史的な解釈さえ捻じ曲げてしまうほどのシェイクスピアの影響力の大きさが、「シェイクスピア症候群」などと揶揄されている。

本書は、伝説の武王ヘンリー五世から、文学や後世の解釈によって付加された虚像の部分を注意深く分離し、複雑に絡んだ糸を丁寧にほぐして、歴史上の実像を詳らかにした労作である。確かに、シェイクスピアは、「千人の顔を持つ」と言われるだけあって、人物描写はまさに天才である。それにしても、彼の虚像と実像の乖離はいかにして惹起したのか。テューダー王朝の開祖ヘンリー七世(在位一四八五~一五〇九)が歴史の見直しを命じ、各国王を個々独立して扱う「テューダー史観」が共通認識として強く働き、一種の歴史書ブームを湧き起こした。それが成功すれば、一三九九年に国王リチャード二世を殺害した「簒奪王ヘンリー四世」という汚名は彼の代が終われば払拭されることになり、その子孫は安泰だ。ヘンリー七世は祖母キャサリンの最初の夫であるヘンリー五世を特別な存在として崇拝していた。この「テューダー史観」に基づいて無数の歴史書が書かれ、そこでヘンリー五世が「不世出な名君」として美化され、シェイクスピアもその流れの中でヘンリー五世像を創り上げたのだった。歴史上のヘンリー五世は、「尊敬され、怖れられるが愛されることはない」と評されるのは、対外的には冷酷非情な姿勢を崩さず、人間的な弱さや心情をさらけ出したりしなかったからである。
この記事の中でご紹介した本
ヘンリー五世 万人に愛された王か、冷酷な侵略者か/明石書店
ヘンリー五世 万人に愛された王か、冷酷な侵略者か
著 者:石原 孝哉
出版社:明石書店
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