天安門事件から30年 廖亦武インタビュー 聞き手=土屋昌明 一般市民が暴力に抵抗した記録  『銃弾とアヘン―「六四天安門」生と死の記憶』(白水社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年7月12日 / 新聞掲載日:2019年7月12日(第3297号)

天安門事件から30年 廖亦武インタビュー 聞き手=土屋昌明
一般市民が暴力に抵抗した記録  『銃弾とアヘン―「六四天安門」生と死の記憶』(白水社)刊行を機に

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第2回
悲劇の英雄たちが捨てられる物語

廖 亦武氏
土屋  
 あなたが余志堅を取材したのはいつ?
廖  
 二〇〇六年。あの時、余志堅が出所したと映画監督の班忠義に話したら、取材を録画することになったのです。普通の電話だと盗聴されるので、シムカードを新調しました。ところが偽物のカードをつかまされたらしく、私が雲南省を出ると、とたんにつながらなくなり、班忠義と連絡がとれない。班忠義は銀河ホテルという所に泊まるという話だったが、そんな所にのこのこ出かけたら捕まるかもしれない。それで、余志堅と約束した場所に直接行って、班忠義は置いてきぼりにしたんです。
土屋  
 じゃ、撮影はできなかった?
廖  
 私は機械に弱いから全然駄目。それで、班忠義から怒られ、絶交を宣言されたよ(笑)。ただ、録音はできたので、この原稿となったわけです。
土屋  
 余志堅は亡くなってしまったから、もし映像があったらすごく重要だったのに。
廖  
 そうですね。二〇一七年に余志堅が亡くなる半年前に電話で話したら、『銃弾とアヘン』の英語版はいつ出るんだと聞かれました。いつ出るかわからない、クライアントと出版社が決めることだと私が答えると、彼はこう言いました。「おれは今インディアナ州にいて、喩東岳を連れている」と。喩東岳は、余志堅とともに毛沢東像に卵を投げつけて捕まり、獄中で拷問を受けて精神に異常を来した人です。
「おれの家族も一緒だが状況は芳しくない。この地の人は誰もおれのことを知らないんだ。なので、英文版が出たら、少なくとも欧米人はおれのことを知るようになり、そしたら、いくらか助けを得ることができるかもしれないじゃないか」と言っていました。今は何をしているか聞くと、ゴミ清掃係をやっていると言う。余志堅はグチをこぼす人ではない。私は同情したが、どうすることもできなかった。その半年後に彼はその地で亡くなってしまいました。

私は後悔し、すぐに英語の翻訳者をさがすことにしました。以前から知り合いの、成都の領事館にいた外交官が夫婦で翻訳してくれることになり、翻訳が終わって、原稿を私のクライアントに渡しました。私の本の翻訳で、私自身が訳者を都合したのはこれが初めてです。しかし、この原稿ではだめだということになり、クライアントが別のプロの編集者を連れてきたのです。だから、この本は言わば三人の手が入っている。

それからイギリスの出版社を二十社くらいあたりました。しかし、どこも請け負ってくれずに越年しそうな時に、今年は天安門事件三十周年ということで、とうとうある出版社が引き受けてくれたのですが、この出版社は大きな所なのに、二千部しか刷らないという。悔しいけれど二千部でも出そうと思ったところ、クライアントから待ったをかけられ、あと一週間待つよう言われました。

一週間後、意外にもアメリカの四大出版社の一つが引き受けるという話が飛び込んできたのです。印税もかなりで、まるで夢でも見ているようでした。よく聞いたら、全くの偶然ながら、この出版社には私の獄中体験を書いた自伝を出したことのある女性編集者が異動していたのです。彼女は私の名前を見て、原稿をぺらぺらめくっただけで出版を決めたらしい。私の監獄の自伝を出した編集者にあたるとは、運命と言わざるを得ないでしょう。しかもその年は、余志堅が亡くなり、それから劉暁波も亡くなった。劉暁波はエリート層の証人で、余志堅は一般人の証人です。
土屋  
 余志堅の名は、日本では全く知られていません。
廖  
 天安門事件における余志堅の重要性は劉暁波に劣るものではありません。あの時、毛沢東像を汚したのは、中国では天地もひっくりかえさんばかりの大事件で、そんなことができた人はかつて誰もいなかったのです。
土屋  
 余志堅に対するあなたの評価は、あなた個人のものですか、それとも中国人に共有されているのですか?
廖  
 当時は誰でも知っていたことです。毛沢東像が汚され、毛沢東がいるべき所に白い布が被された様子は、中央テレビ局で生中継されたんです。知らない人はいない。それなのに、この余志堅のことは忘れられました。もし天安門事件のことを書くならば、必ず余志堅に言及しなければならない。それは、必ず劉暁波に言及しなければならないのと同じで、絶対に落とすことはできない。
土屋  
 日本の報道や評論では余志堅のことを取り上げません。
廖  
 仕方ないね。『銃弾とアヘン』で取り上げた人々は、日本では一人も報道されたことがないんじゃないかな。日本では、劉暁波のことや、一部の知識人の回想録が出ているだけで、日本だけでなく、欧米でも「六四暴徒」のことを書いた本はこれが初めてでしょう。一般市民が暴力に抵抗した記録です。天安門事件から三十年が経ち、その時の記録も少なくないが、それらは事件の半分しか記録していません。つまり学生の運動だけで、最後は王維林で終わりです。タンクマン王維林が立ちはだかったこと、今でも彼の本当の身分が不明なことは、みんな聞いたことがあります。彼が本当は誰で、失踪した後どうなったか、誰も知らないだけでなく、王維林という名前すらウソだという。しかし、王維林という人は一つの象徴であり、天安門事件の後ろ半分、銃弾が撃たれた後を代表しているのです。その前半分の時間は長いが、学生の運動だけで、後ろ半分は全国民的な暴力反対運動だったのです。
土屋  
 この本からすれば、三つの部分と言うこともできますね。彼らが捕まってから監獄の中でのこと、出所してからのこともある。
廖  
 監獄の中は、悲劇の英雄たちが次第に捨てられていく物語です。今に至るまで、彼らには発言権もない。彼らはもはや声帯を切られてしまったのです。今日、三十年を振り返るにおいても、発言権があるのは、当時と同じように学生リーダーと知識人ばかりであることを目の当たりにしませんでしたか? 三十年経ってもこの有様です。だから、今たった一冊のこの『銃弾とアヘン』が出たのは、とにかくよいことです。訳者に感謝したい。
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この記事の中でご紹介した本
銃弾とアヘン  「六四天安門」生と死の記憶 /白水社
銃弾とアヘン  「六四天安門」生と死の記憶
著 者:廖 亦武(リャオ・イーウー)
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
「銃弾とアヘン  「六四天安門」生と死の記憶 」出版社のホームページはこちら
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