中平卓馬をめぐる 50年目の日記(14)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年7月16日 / 新聞掲載日:2019年7月12日(第3297号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(14)

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「顔」という「日本読書新聞」で始まったインタビュー・シリーズの写真を撮ることが事実上の仕事始めだった。登場する相手の都合に合わせなければならないし、だいたいは急ぎの場合が多かったので、これを中心に時間が廻るようになった。毎日の予定が不規則、不確定になったが、中平さんはそこに生まれる空き時間を、写真を撮る時間に充てられるので喜んだ。

「顔」は1966年のはじめから二年くらい続いたが、私も何回か同行した。同行したのは助手役を求められたからだ。

室内での撮影が多いのでストロボを使った方がいい。私は友人が持っていた一級のストロボを借りて同行するのだが、二人とも使い方をよく理解していなかった。だから現場ではいつももたつく。何度目かからはもうストロボを持って行くのをやめにした。

中平さんも室内の自然光だけで撮りきる覚悟をきめて、少し無理かなという明るさの時も、増感現像という後処理の効果に期待して躊躇はなかった。それがいつもうまくいっていたわけではないけれど…。

結果、ちょっとなあと思えるできばえの時も中平さんには「いい感じになったよ」と言い張る饒舌さがあった。編集者たちにもこういう肖像カットも新鮮だねと同意してくれる「若さ」があった。

「顔」の一番はじめの「被写体」が詩人の岡田隆彦さん。顔の半分が黒くつぶれたうつむき加減の表情。詩人の繊細さが漂っているようで、私は自分のことのようにその写真の出来栄えを喜んだものだ。つぎの武満徹さんのは額と鼻頭だけが光って目元は真っ黒、どんな顔の人かは誰にも分かるまいという写真だった。そのつぎの安部公房さんの場合も、光るメガネ越しにうつろな気持ちが横溢しているという感じばかりが強調された「顔」。

しかし私は、それまで見慣れていた「作家」の、無頼、静謐、黙考といったことばの枠に合わせたような「文士・文芸写真」にはあきあきしていたので、「顔」シリーズの中平さんの写真はとても新鮮に思えた。

いまでも小説家が髪をかき上げたり腕組みをして遠くに思いを馳せているような文芸広告写真を見るたびに、何と工夫のない写真かと不快になるのは、きっとあの「顔」の時のちゃんと写ったかどうかの気持ちを含めた緊張感がよみがえってくるからだ。

一番最初の岡田さんは、赤坂にある自宅を訪ねて撮った。「みづゑ」の「芸術評論賞」を受賞した、というのがインタビューの機縁で、1965年の暮れのことだった。

中平さんと岡田さんは既に見知った間柄だったらしい。
「よく行く渋谷の百軒店のジャズ喫茶でね、ジャズ好きだった妹とばったり会ったんだけどそこに岡田も一緒にいたんだ。そこにたむろする連中仲間だったようだ」
と言い、妹さんに紹介されて知り合うことになったのだと言っていた。

私は岡田さんに会うのははじめてだった。神経質そうだが話し好きな人で、だが会話には話し相手への驚くような皮肉もちりばめられていて油断がならない。あっという間に時が経った。彼とはその後「プロヴォーク」の場をはじめいろんなところで関わりが続くことになる。

帰りがけ、岡田さんはお土産にと言って「ドラムカン」という同人誌をくれた。私がはじめて出会った現代詩である。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)(次号へつづく)
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