長尾幹也『月曜の朝』(1993) 酔い人の吐物に新聞かぶせつつこの駅員の静かなる顔 |書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2019年7月16日 / 新聞掲載日:2019年7月12日(第3297号)

酔い人の吐物に新聞かぶせつつこの駅員の静かなる顔
長尾幹也『月曜の朝』(1993)

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広告会社のセールスマンをしながら、新聞歌壇などに投稿をし続けていた歌人の一首。歌集刊行当時は、三〇代半ばの働き盛りであった。作者は歌集を出してもなお投稿を続けており、短歌にはそういったアマチュアリズムを貫く人が結構いる。

都会の駅という不特定多数の人々が集まるシステマティックな空間において、駅員という存在が前景化される状況が「異常事態」であることは、以前の本多真弓の歌などでも触れた。掲出歌においてそれは、酔っ払いの粗相である。日常的で些細なことにすぎないとはいえ、無数の通行人たちの適切な動線が閉ざされるわけで、立派な異常事態のひとつである。

それに対して駅員は、静かな顔をして新聞をかぶせ、「臭いものに蓋」でとりあえずはその場をしのごうとする。専門の清掃業者などもすぐに入るだろうから、この駅員の対応に何らかの問題があるわけではない。ただ、あまりにいけしゃあしゃあとした冷静な顔つきが、官僚的すぎて逆に面白かったのだろう。本来人々に情報を伝えるための新聞紙が、ここではむしろ情報を隠し、問題を隠ぺいするための道具として使われているという逆説も、ファニーな情景として映ったのだ。作者も「情報」を売る側の立場だけに、他人事でもなかったのだろう。

作者がサラリーマン生活のリアルを短歌に詠んでみせたのは八〇年代の好景気の時代だが、そこに描かれているのは満員電車に休日出勤と、不況の現代とそれほど変わりない。(やまだ・わたる=歌人)
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