巴金とアナキズム 理想主義の光と影 書評|山口 守(中国文庫)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月20日 / 新聞掲載日:2019年7月19日(第3298号)

巴金とアナキズム 理想主義の光と影 書評
現在の巴金研究の到達点
巴金がアナキストとして苦悩し模索したプロセスを描き出す

巴金とアナキズム 理想主義の光と影
著 者:山口 守
出版社:中国文庫
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巴金が近代中国を代表する作家の一人であることは言を俟たない。たとえば彼の代表作の一つである『家』は、中国の近代文学でもっとも売れた小説だと言われている。晩年はノーベル文学賞の候補に挙がったともされる。日本でも巴金の名前は良く知られている。日本作家と多くの交流をつづけ、岩波文庫をはじめ手に入りやすい形で翻訳が出ている。巴金研究の面からみても、日本の研究者は多くの功績を挙げてきた。戦前の同時代文学の時代からはじまり、日本のみならず中国を含む学界をリードする研究が生み出されてきた。本書は、世界的に現在の巴金研究を牽引する研究者の一人である山口守氏が、若い頃から近年にいたるまでの巴金研究を集大成したものであり、現在の巴金研究の到達点を示している。

巴金は、アナキストであり、また文学作品を書いた。彼のアナキズム思想と文学の関係は、これまでの研究の焦点の一つであった。それは単純なものではなかった。というのも、巴金はアナキズム思想をそのまま文学にしたのではなく、他方でアナキズム思想と無関係に文学創作をしたわけでもなかったからである。山口氏は、まず巴金のアナキズムの核心を、民衆がみずから自己解放を求める思想とした。この簡潔な表現は、実のところ複雑な内実を含んでいる。集団と個人の関係、現実的行動と理念の関係、倫理の問題など、多くの問題が引き出される。いうなれば、アナキストとして目指す理想は明確であったとしても、それを現実化しようとするとき、たちまち立ち現れる多くの問題に、いかに向き合うかが課題となる。本書の最大の功績は、巴金がアナキストとして苦悩し模索したプロセスを描き出したことであろう。

そのために山口氏は、エマ・ゴールドマン、ヴァンゼッティなど世界のアナキストと巴金が交わした書簡に注目した。ほとんどの書簡は山口氏が発見したものであり、そのためにオランダ、スイス、アメリカ各地の大学など、文字通り世界中を駆け巡った。この資料だけでも、学術的価値は極めて高い。重要なのは、その作業を通じて、公刊された文章とは別のレベル、いわば個人の思想の襞のレベルにおいて、巴金のアナキズムをとらえることが可能になったことである。巴金がアナキズムの理想を手放さなかったものの、運動としてのアナキズムには距離を置き、アナキズムと等号で結べない文学創作に向かった内在的理路が、そこから明らかになった。

しかし巴金の興味深いところは、文学に対しても距離感を持ち続けたことである。山口氏はその機制を精密に考えつづけ、巴金が、アナキストになりきれなかったことと同じく、文学者にもなりきれず、むしろ双方への距離を意識することで、振幅や矛盾の中から文学を生み出したと論じた。この結論は、アナキズムと文学の関係をめぐる巴金研究に対して、一つの明確な答えを提起したものと言えるだろう。さらに山口氏は、その枠組みによって、中華人民共和国時代の巴金についても統一的な理解を示した。巴金が共産党政権の中国に残り、のみならず国家主導の文学運動に表面的には積極的に参加したことをどう捉えるかも、巴金研究の難題であった。アナキズム思想を重視するならば、巴金は不本意に国家に従ったとなるが、山口氏はむしろ巴金の「誠実さ」の表現として国家との関係を理解し、「誠実さ」が不可避的に持つ影の効果として、振幅や矛盾が失われたのではないかと論じた。

ここに山口氏の巴金論の出色さが示されている。山口氏は、巴金が理想主義を持ち続けたことを称揚するが、同時にその理想主義が常に敗北と挫折を運命づけられていたと指摘し、むしろ敗北と挫折こそが理想主義を輝かせたと踏み込んだ解釈をした。理想主義の光と影を同時に表す作家と読むことによって、巴金を、中国の作家であるにも関わらず、中国というナショナルに回収されない普遍的な問題に開かれた作家にしたのである。
この記事の中でご紹介した本
巴金とアナキズム 理想主義の光と影/中国文庫
巴金とアナキズム 理想主義の光と影
著 者:山口 守
出版社:中国文庫
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