真ん中の子どもたち  書評|温 又柔(集英社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2019年7月20日 / 新聞掲載日:2019年7月19日(第3298号)

温又柔著『真ん中の子どもたち』

真ん中の子どもたち 
著 者:温 又柔
出版社:集英社
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 「日本人」だから完璧な「日本語」を話し、「中国人」だから正しい「中国語」を使うのだろうか。「母国語」といったとき、その母国は誰が定義しているのだろうか。本書は何気なく話している言葉と個人の関係を立ち止まって考えさせてくれる一冊である。

主人公のミーミー(天原琴子)は、日本人の父と台湾人の母を持ち3歳の時日本へやって来た。その後日本で教育を受けた彼女は日本語を不自由なく使えるようになるが、中国語は台湾にいた頃よりも話せなくなってしまう。そこで高校を卒業すると母の言葉である「中国語」を勉強するために、日本国内の中国語専門学校に進学し上海に短期留学する。しかし上海で直面するのは、正しい(とされる)「中国語」の存在である。一言で「中国語」と言っても台湾で使われる「國語」と、上海で学ぶ「普通話」には発音の違いがあり、真面目で厳しい陳老師に「わるい癖」だと注意を受けてしまう。加えて台湾人の母がいるわりには自分の語学力が低いことに自信をなくしてしまうなど、一筋縄ではいかない言葉の世界が描かれる。そのような中で彼女が、台湾人の父と日本人の母を持つリンリン(呉嘉玲)や、中国から日本に帰化した両親を持つ龍舜哉との交流を通し、言葉に向き合い続ける物語である。

本書は2017年上半期芥川賞候補作になった。その際選考委員の宮本輝氏が「当事者たちには深刻なアイデンティティと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい」(注1)と評し物議を醸した作品でもある。

私自身は日本国籍を持つ両親のもとに生まれ、日本で教育を受け、日本で生活している。「母国語は何?」と聞かれれば迷わず「日本語」と答える。そんな私にとって本書は言語とは個人のアイデンティティーとも深く結びつき、考えていた以上に複雑で複層的な世界を持っていることに気づかせてくれた。作中の舜哉の言葉に、「ナニジンだから何語を喋らなきゃならないとか、縛られる必要はない。両親が日本人じゃなくても日本語を喋っていいし、母親が台湾人だけれど中国語を喋らなきゃいけないってこともない。言語と個人の関係は、もっと自由なはずなんだよ」というものがある。日本人であれば皆同じ日本語という一つの言語を使っているはずだという意識があるからこそ「対岸の火事」と捉えるのかもしれないが、その「日本語」も実際には方言や独特の発音などが交じり一人一人異なるだろう。それらは「正しい」日本語ではなくとも自分の言葉を作る重要な要素となっている。

本書では「中国語」「台湾語」「日本語」が簡体字、繁体字、カタカナ、拼音など様々な表記方法で描かれる。第二外国語で中国語を勉強している人や留学を考えている人はもちろん、そうではない人にとっても言葉の自由さや温かさを感じさせてくれる一冊だと思う。個人と言葉の関係というと近寄りがたいテーマに感じるかもしれないが、自分は日本人だから、日本語だけが話せる言語だからと思っている人にもぜひ言葉の世界の豊かさを味わってみてほしい。
(注1)「芥川賞選評」『文藝春秋』95巻9号、2017年9月
この記事の中でご紹介した本
真ん中の子どもたち /集英社
真ん中の子どもたち 
著 者:温 又柔
出版社:集英社
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