中平卓馬をめぐる 50年目の日記(16)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年7月30日 / 新聞掲載日:2019年7月26日(第3299号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(16)

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逗子なぎさホテルで朝食をすませるような日は天気も晴れていて気持ちのいい海風の匂いをたっぷり感じられる日でもあった。

すると「今日は、東京やめよう」となって、海岸でぶらぶらするか、バスで長者ヶ崎の方まで行くか、小坪港の魚屋を見に行ってみようか、ということになる。そんな時はよく話をしてくれる小さな息子がいるから楽しかった。中平さんや私は好き勝手に、まだ幼い息子を背負ったり肩車をして走って怖がらせて遊んだ。いや息子に遊んでもらっていた。

小坪は小さな鄙びた漁村の風情で、それでも海に面した逗子市にあっては唯一の漁港だった。地元産業用と指定された第一種漁港である。船着き場のすぐ前には魚屋が一軒あって、そこには夕食用の魚を見つくろうために行く。

内陸育ちの私は魚の名前をまったく知らない。めずらしくて狭い店の中の木箱を覗くと「触っちゃだめだよ」と怒気を含んだオカミさんの声が必ず飛んできた。魚はいいのだが、中平さんも奥さんも、オカミさんのその態度をとても嫌った。
「ここしかないからチヤホヤされているうちにあんなになってしまったんだよ。以前は親身になって魚を選んでくれたんだけどね」と中平さんは言い、鰺の開きさえ買う気にもならなくなって手ぶらのままで帰ることが多くなった。そして逗子駅前から海岸へ続く商店街の小さな元気のない魚屋で、朝食用の干物を買って我慢をした。

佐島の石切場へ行くこともあった。四人でバスに乗って建築中のヨット係留施設の脇を抜けて石切場に入ると、夏の暑さのなか、氷室のような冷気に包まれて「これはいいね」と、息子もはしゃいだ。そして少し先の佐島港へ出ると、そこにも魚屋が二、三軒ばかり並んでいて、そこは何を聞いてもちゃんと目を合わせて答えてくれるし、息子が蛸をつついても「旨いんだぞ」と、魚を珍しがる子どもの仕草を店の連中が笑いながら見つめていた。

帰りは逗子の海岸近くでバスを降り、浜を歩いてぶらぶらと家に帰った。その途中、
「向こうに山、というか崖が見えるでしょ」
と中平さんが指をさす。
「白いお城のような家が見える? あれ、慎太郎の家なんだ。趣味が悪いと思わないか。大嫌いさ。でもねその上の方、見えるかな? ちょっと木立で見えにくいかな」
「見えるよ、なんか落ち着いた家が見える。いい家ですね」

すると中平さんはいつものように鼻を少しぴくぴくさせて嬉しそうになった。
「でしょう? 格が違うって感じだろ? 堀田善衞の家なんだ。堀田さんが慎太郎の頭の上にいると思うと少しは気が休まるよ」

そう言って皮肉をこめた笑い顔を見せた。

堀田善衞が「朝日ジャーナル」に書いていた「海鳴りの底から」を高校生の頃に読んでいた私は、あの作者がそこに住んでそしてそこであの小説を書いていたのだと思うと胸が躍った。

あとで知ったのだが、堀田さんの家は一度焼けていたらしい。その家は逗子と鎌倉の境になる披露山の中腹にあって山道しか通じていなかったから、火事になった時には消防車も近づけなかったという。しかし消失後すぐに再建されたそうだから、私が見た堀田さんの家はその火事のあとに建て直した新しい家だったようだ。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)        (次号へつづく)
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