モーション・グラフィックスの歴史 アヴァンギャルドからアメリカの産業へ 書評|マイケル・ベタンコート(三元社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月27日 / 新聞掲載日:2019年7月26日(第3299号)

モーション・グラフィックスの歴史 アヴァンギャルドからアメリカの産業へ 書評
「色彩音楽」から始まる歴史を克明に描く好著
活き活きとしたドキュメンタリー

モーション・グラフィックスの歴史 アヴァンギャルドからアメリカの産業へ
著 者:マイケル・ベタンコート
翻訳者:水野 勝仁、西口 直樹
監修者:伊奈 新祐
出版社:三元社
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疾走する列車〝モーション・グラフィックス号〟の最前部に乗り、最後尾を眺めると歴史が見える。第1章の書き出しは「モーション・グラフィックスは19世紀最後の重要な美的革新であり、20世紀においてはっきりと表面化した。〝放送デザイン〟、〝モバイル・グラフィックス〟、〝絶対映画〟、〝タイトル〟、あるいは単に〝アニメーション〟、これらすべてが20世紀末の数十年に収斂し、〝モーション・グラフィックス〟として認定されるようになった」。こう書かれると、いかにも前世紀の遺物のような感じがするが、実は収斂などせず、現在も疾走中である姿が浮かび上がってくる。そして、むしろ〝発散〟の方向である。古来西洋では、絵画を始めとする視覚芸術は、静止画が普通で、静止画以外にはあり得なかった。日本には12世紀頃から絵巻物文化があり、経時変化、乃至は動的変化を見る側が創り出す芸術が存在する事から考えると、かなり先進的であったと言えよう。遅れてやって来た西洋やアメリカの視覚表現における動的表現は、技術革新によってもたらされた。産業革命と工業力の伸張、その流れの中から生み出された「動く表現」の一つとして、モーション・グラフィックスが挙げられる。映画に代表される映像表現が、芸術的かつどちらかと言えば文学的表現であるとすれば、モーション・グラフィックスは、前衛芸術と商業媒体の両方にまたがる音楽的表現であると述べている。もちろん、映画も商業的でもあり、最も深いところで音楽的表現でもあるので、切り分けることに意味はないが、比較するとすれば、ということである。そして、「音」を抽象的に視覚化して表現する「視覚音楽」、その起源とも言える「色彩音楽」から始まり、現在に至るモーション・グラフィックの歴史を克明に描いた好著である。

歴史というには、やや時間が短すぎる。技術革新のスピードから考えると、歴史と言って良いのかも知れないが、歴史の淘汰を経るにはもう少し時間が必要で、本書は、ドキュメンタリーと捉えるべきものであろう。そして、そのドキュメンタリーは実に活き活きとして描かれており、ワクワクする。が、視覚芸術の書であるにもかかわらず、図版がほとんど無く、実際の所は分からない、というのも正直な感想である。インターネットで勝手に調べろ、ということかも知れないが、検索しても「色彩」も「音楽」も出てこないものも多い。

著者が主張する「19世紀最後の重要な美的革新」に関しては、ややこじつけと言わざるを得ない。カラー・オルガンといった楽器(?)に類するものも、「音色」や「ハーモニー」「音そのもののイメージ」など音楽的要素とは関係なく、鍵盤に色を割り振ったようなもので、とても芸術との関わりなどと言える代物ではない。そのアイディアが、スピルバーグの「未知との遭遇」にも利用され、「20世紀初めの絵画とカラー・ミュージックと抽象映画との密接な結びつき—実際、直接的な関係性と運動—を証明している」という記述に至っては、何をか言わんや。ここに登場するカンディンスキーや作曲家のスクリヤービンなどは、もっと深く音楽の感性と絵画や色彩、音色との関わりを考えていたものと思われる。

芸術的に意味が出てくるのは、第2章のイタリア未来派あたりからであろう。「未来派の抽象映画(1909-1912)」「ダダ/構成主義の映画(1919-1929)」「マン・レイの《理性への回帰》(1923)」「ヴァルター・ルットマン(1887-1941)」「ヴァイキング・エッゲリング(1880-1925)」「ハンス・リヒター(1888-1976)」そして「マルセル・デュシャンの《アカデミック・シネマ》(1926)」。ここで行われた実験が、20世紀映像表現の始まりであることは想像に難くない。が、この段階はまだ、音楽との関わりは「音楽的視覚表現」に過ぎず、音楽そのものではない。エッゲリングは《対角線交響曲》、リヒターは《リズム21》《リズム23》《色彩のオーケストレーション》といった、音楽に想を得て、音楽的題名を持つ作品を発表しているが、これらも「音楽」のないいわゆるサイレント映画。音楽的無音映像。

実際に「視覚音楽」に本物の「音楽」が登場するのは1927年に光学式サウンドトラックが発明されてからである。そこからが第3章。「光学式サウンドトラックによって音と映像とが密接に同期した映画の制作が可能となった。」「音と映像との関連性をすぐに見て取ることのできるこの技能は、モーション・グラフィックスの分野にとって、抽象映画がもたらしたもっとも重要な遺産である」との記述。なんだか変な文章であるが、光学録音の発明がいかに大きなものであったか、その期待と高揚感が伝わってくる。

映像が音楽を獲得すると、そこからの展開は目覚ましいものとなる。もちろん、抽象映像、実験映像、抽象アニメーション、文学的文脈を持つ芸術映画。その後商業アニメーション、商業映画、娯楽映画、コマーシャルといった、ビジネスと結びついた作品も次々に生まれ、テレビ放送の開始と共に、その表現の幅は巨大化して行く。が、本書では、エイゼンシュタインのモンタージュ理論に始まる芸術文化としての映像表現を2000年代まで丁寧に追っている。エイゼンシュタインは、音楽と映像の融合を重要視し、20世紀最高と言っても良いほどセンシティブな音扱いを聴かせている。実験映画から前衛映画、アートとしての映像表現、タイポグラフィーとデザインとの結びつき、ヴィデオ・アート、そこに登場するコンピュータ。インターネットの普及は、表現の在り方を変える。本書の後半はもはや歴史ではない、同じ列車の先頭に乗り合わせている自分の位置を確かめつつ、新しい映像表現の誕生を心待ちにし、大いに楽しむための指南書となっている。最終の第9章は「引き継がれる共感覚の伝統」、人と人とが共感し合える装置としてのモーション・グラフィックスの役割は、まだまだ発展途上、今後の展開と伸張を大いに期待して本書を閉じることとしたい。
この記事の中でご紹介した本
モーション・グラフィックスの歴史 アヴァンギャルドからアメリカの産業へ/三元社
モーション・グラフィックスの歴史 アヴァンギャルドからアメリカの産業へ
著 者:マイケル・ベタンコート
翻訳者:水野 勝仁、西口 直樹
監修者:伊奈 新祐
出版社:三元社
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