〈空白〉の根底 鮎川信夫と日本戦後詩 書評|田口 麻奈(思潮社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月27日 / 新聞掲載日:2019年7月26日(第3299号)

〈空白〉の根底 鮎川信夫と日本戦後詩 書評
鮎川信夫研究の現在
 鋭く怜悧な批評、論証的・連合的な思考でまとめあげた力作

〈空白〉の根底 鮎川信夫と日本戦後詩
著 者:田口 麻奈
出版社:思潮社
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 田口麻奈氏は、若き俊英の研究者である。

早稲田大学で、文学を文化論的に考察する高橋世織氏のもとに、鮎川信夫研究に入った。以来、近代文学の詩歌研究の泰斗吉田精一、三好行雄、野山嘉正の先学の業績を継承する東京大学の大学院で、太宰治研究の第一人者安藤宏氏のもとに研究を続け、源氏物語研究で知られる詩人の藤井貞和氏の指導も受けた。

上梓された論考は、東京大学から博士号を授与されたものである。

本著の構成は、序論の「研究史・問題点・展望」、第Ⅰ部の「鮎川信夫の戦後」、第Ⅱ部の「鮎川信夫の「荒地」」と付帯資料からなる。その方法と展望は、序論のなかで、研究史と問題点から展望にいたる詳細が綿密に述べられている。細部にわたる論の緻密な考察は、包括的な視座と合体し、構成とディテールが婚姻する精緻な研究である。

第一部の「鮎川信夫の戦後」は、「死んだ男」「兵士の歌」「病院船日誌上・下」「小さいマリの歌」「橋上の人」の論考からなり、戦後の鮎川の代表する詩を論じている。先行研究をふまえて、「遺言執行人」にとっての「現代は荒地である」存在を析出する。前世代の詩人たちの「空白」とは何か、その問題の「根底」を問う。そこには、田村隆一をいっぽうの極に置き、求心力によって鮎川の代表作の詩への見たてが象られる。一九五〇年代の時間が甦り、戦後期の詩人の錯綜体の総体が現れる。吉本隆明、北川透、芹沢俊介、瀬尾育生、牟礼慶子氏の著作を渉猟し、坪井秀人、宮崎真素美氏の近代文学研究の論考を精読する。

鮎川信夫の詩は、現代詩でも戦後詩でもあるテキストである。「戦中派という呼称で一般化されるような曖昧な倫理主義ではなく、言語的経験を遵守する「詩人」という自己規定に貫かれた戦後詩の樹立」と、著者の怜悧な詩の分析は、ひとつの総合的な結論にいたる。

白眉は、「橋上の人」論である。そこには、エリオットの詩「荒地」と日本の「荒地」の詩人の活動とが、従来の解釈から踏み込む「イースト・コーカー」からの宗教性にいたる解釈がある。書き継がれた本長編詩は、ポエジーのある文体による宮崎真素美氏の先行論文においても、比較文学の観点である鮎川信夫とポール・ヴァレリーの関係がある。

しかし、著者の視点は、鮎川信夫とエリオットとの潜在的な関係を深めることであった。文学史に輝く一九二〇年代の「荒地(The Waste Land)」から、その保守化が論ぜられた『フォー・カルテット』の「イースト・コーカー」の詩や当時の流行である「詩劇」を比較論として綿密に論じている。そこにあるのは、戦後七〇年が過ぎ、近隣諸国との摩擦や戦後の同盟関係の影響により、国家意識や「共同体論」の変化を危惧する識者の姿かもしれない。エリオットの「荒地」以後の詩の進展が普遍的に明示し、鮎川信夫の「近代主義の帰趨」として本著で語られる論点である。「鮎川はナショナルな共同性を批判するばかりではなく、その現実的な不可避性を早くから捉えている」と、著者はその位相に係わり考察する。それは、「補論」である「鮎川信夫像の再編へ」とともに、戦後そのものが遠景となった現在の時空を歴史的に繋ぐ視点である。「アメリカ」の詩についても、著者の思考の回路は、重要な詩として論及されている。

第二部の「鮎川信夫の『荒地』」は、鮎川の求心性から同人への遠心性を含む「荒地論」である。鮎川信夫と「荒地」の詩人たちの共同性の奥行きは、関係性の輪の視点から統合されている。戦前の「第一次」の「荒地」の継承者であり、戦後の「第二次」の「月刊『荒地』」の六冊の主要な人物こそ、鮎川信夫の存在であった。鮎川の「荒地」と中桐雅夫の「LUNA」を継承する「第三次」の「荒地」は、「第三次以降の『荒地』同人たちは、当初の世代論の文脈を離れ、多様な詩人が寄り集まる言語的な公共空間としての『荒地』像を強調していく」と著者は書く。『荒地詩集1951』に集約される、詩と詩論の活動の展開である。

鮎川信夫の主体は、「歌う詩」から「考える詩」への転換をなしたが、暗黙裡に統覚された表象不可能性を示していたと著者は書く。時代と鋭く拮抗し、反時代的であった。「死の灰詩集」批判や論争的なスタンスは、全体主義への批判の一点にかかわっている。

「荒地」を代表する詩人鮎川信夫の戦後の詩について、構造的な構成と細部への検証をほどこし、詩人の錯綜体を縦横無尽に鋭く論証的な文章で連合する。広島の「囲繞地」に関する論考や「思想詩におけるリズム」の問題は、新しい鮎川論を切り開く領域であろうか。さらに石徹白の父親像や詩誌「亜」の安西冬衛に関する論考に及ぶふたつの補論は、鮎川論の現在性とも係わる展望を含むものである。特に補論には、著者の遠心性から究極的な鮎川信夫の存在を一直線に統合する力動性が働いている。

「議論が行なわれた時期と年代を重視する立場」から初出を明示しつつ、先行研究を精読する著者の鮎川信夫像には、求心力がある。「国家と宗教という、主体を涵養する装置の罪障性だけでなく、必要性をも認識している。「荒地」の中でおそらく鮎川だけが突出して持っていたこの両義性への洞察が、現代の苛酷な課題にそのまま乗り入れていくことは間違いがないのである」と、著者の批評は鋭く怜悧である。本著を読むことは、多義性に分岐しない、連合的な思考による文学研究の現在を知るとともに、実証的な力作を読むことのできた瞬間である。

全集未収録の十一編の鮎川信夫の詩と書簡や「LUNA」の目次細目や著者の解題は、鮎川信夫や「荒地」や戦後詩の研究者にとって、関心の深い必読資料となっている。
この記事の中でご紹介した本
〈空白〉の根底 鮎川信夫と日本戦後詩/思潮社
〈空白〉の根底 鮎川信夫と日本戦後詩
著 者:田口 麻奈
出版社:思潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
「〈空白〉の根底 鮎川信夫と日本戦後詩」出版社のホームページはこちら
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