石川達三の文学 戦前から戦後へ、「社会派作家」の軌跡 書評|呉 恵升(アーツアンドクラフツ )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月27日 / 新聞掲載日:2019年7月26日(第3299号)

石川達三の文学 戦前から戦後へ、「社会派作家」の軌跡 書評
石川達三、再評価の試み
『生きてゐる兵隊』という作品が辿った数奇な運命

石川達三の文学 戦前から戦後へ、「社会派作家」の軌跡
著 者:呉 恵升
出版社:アーツアンドクラフツ
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 待望の本格的な研究書である。ここのところ、河原理子『戦争と検閲』(岩波新書)や渡辺考『戦場で書く』(NHK出版)など、石川達三を取り上げた興味深い仕事が公刊されている。本書は、そうした近年の成果を踏まえつつ、戦時期から敗戦後までの小説・エッセイを集中的に読み直すことで、作家・石川達三の総合的な再評価を試みたものである。

特筆したいのは、同時代の新聞・雑誌メディアの広汎な調査を通じて、日中戦争期・アジア太平洋戦争期の石川の戦争協力的な発言と、敗戦後の「再転向」の様相を具体的に論じた点である。石川については、南京作戦に従軍した兵士に取材した『生きてゐる兵隊』が日中戦争期最大の筆禍事件を引き起こしたことから、戦時下の苦しい時代にも節を枉げなかった「反骨の作家」と評されることも多かった。しかし、著者によれば石川は、『生きてゐる兵隊』事件以後、戦時体制に積極的に同調することで、作家として生き残る道を選んでいったのだった。対米英開戦後は海軍報道班員としての徴用を経て、海軍報道部で無給嘱託として活動、一九四五年一月には日本文学報国会実践部長に就任している。敗戦直前に言論統制の緩和を訴えたことで、一部の論者からは「時局への抵抗」のあらわれと見なされてきた小説『成瀬南平の行状』を含め、戦時下の石川の発言は「あくまで聖戦遂行の立場に立つものであり、国民の戦争協力をさらに促すためのものであった」とまとめていく議論は、説得力も十分だ。

ならば、次の問題は、敗戦後の石川が自らの過去をどう捉えたか、ということになる。だが、この時期の代表作『風にそよぐ葦』が、軍や国家権力に翻弄される知識人を無力な弱者と描いたことに徴しても明らかなように、石川達三自身、戦時下の言論弾圧による被害者というイメージを積極的に引き受けていった。かつて石川は、自らの文学活動について、「書くことの社会的な意義がはっきりしなければ、作品に着手できない」(『経験的小説論』)と書いた。言ってみれば著者は、「社会派作家」石川達三にとっての「社会性」とはいかなるものだったのか、その内実を鋭く問い直してみせたのだ。

しかも、本書の射程は、石川達三個人への批判にとどまるものではない。むしろ重要なのは、石川の作品を「権力に対する庶民的な抵抗」(『経験的小説論』)と評価してきた日本の言論空間の問題ではないか。おそらくこの点に、本書の方法的な可能性が指摘できる。第三章で著者は、『生きてゐる兵隊』が、抗日戦争期の中国で「反戦小説」として高く評価されてきたことに注意を促している。近年ではその評価に修整も見られるようだが、いずれにしても大切なのは、石川達三や『生きてゐる兵隊』をめぐって、日本語のそれとは異なる読書の現場があり、中国語の翻訳を通じて、作品が別の生を生きてきた事実を確認することだ。初出発表時に発禁処分を受けた『生きてゐる兵隊』は、日本敗戦まで、差し押さえを免れた雑誌以外では読めなかった作品である。その作品が、戦時中ずっと、抄訳・全訳をふくめ中国で流通し、受容され、読み継がれてきた。著者の記述は、『生きてゐる兵隊』という作品が辿った、日本近代文学史上類例のない数奇な運命を浮上させるものともなっている。

ひとつ注文をつけるとすれば、石川達三の作品分析にもう少し掘り下げが欲しかったことだろうか。文学作品には確かに、書き手の意図を超えて書き込まれてしまうもの、読み込めてしまうものがある。戦前・戦時の日本の検閲、敗戦後の占領軍による検閲をかいくぐって発表された言葉に刻まれた論理やイメージの葛藤と、当時の石川のスタンスとをより精緻に照らし合わせることができれば、本書の議論はより凄みを増したのではないか。文学や文学者と戦争との関係は、なかなか一筋縄ではいかないものがある。しかし、やはり最後に問うべきは、戦争を描く表現の内実であるはずだ。
この記事の中でご紹介した本
石川達三の文学 戦前から戦後へ、「社会派作家」の軌跡/アーツアンドクラフツ
石川達三の文学 戦前から戦後へ、「社会派作家」の軌跡
著 者:呉 恵升
出版社:アーツアンドクラフツ
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「石川達三の文学 戦前から戦後へ、「社会派作家」の軌跡」出版社のホームページはこちら
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