わたしはなにも悪くない 書評|小林エリコ(晶文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年7月27日 / 新聞掲載日:2019年7月26日(第3299号)

わたしはなにも悪くない 書評
いま苦しんでいる人のすぐ隣で 顔を上げて語っている本

わたしはなにも悪くない
著 者:小林エリコ
出版社:晶文社
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人がこの世で生きていくにあたり、避けて通りたい単語が、これでもかとばかり本書には勢ぞろいしている。酒乱の父。貧困。自殺未遂。いじめ。ブラックな職場。精神障害。多量服薬。生活保護。痴漢。父との絶縁……。

ネタに飢えた書き手であれば、このうちどれか一つでも自分に該当していれば、それだけで一冊を準備するだろう。しかし本書の著者はそんなことはしない。それはこれらの困難が同時に、あるいは短期に彼女の身の上に殺到してきたからであり、書く=対象化するどころではなかったからだ。ありとあらゆる困難の玉突き事故の渦中で立ち尽くす日々を送ってきた著者は、書く代わりに繰り返し何度もつぶやくことで時間をやり過ごしてきた。「死にたい」というつぶやきを、である。

本書に書かれている困難のいくつかは現在進行形のようだ。しかしそれでも、多くが過去を回想するカタチで描写され、分析されていることに読者はホッとする。ここに記述された事柄のすべてはまぎれもなくたった一人の女性の身に起きたことだけれども、現在は快方に向かい、だからこそこうして書かれ、読むことができるのだというシンプルな事実に、読者のほうがすがり付きたくなるような本なのである。

「多重当事者」としての著者は、何度も底辺まで降りていく。不思議なのは、その低い場所で著者以外の人々を描くとき、そして生命を維持するための最低線である「食」について書かれるとき、ある種のユーモアが発生することだ。

私が特に惹きつけられたのは、精神病院の入院仲間である「仲良しのゆみちゃん」。ゆみちゃんは「菓子パンを大量に食べてから、全て吐き出す」摂食障害でありながら「今日のお昼ご飯は何かなあ」なんて言う人だ。そして、食べ物を人に渡すことが禁じられている病院内で、饅頭を手にした女性が「私、あんこがダメで。よかったら誰か食べない?」と問いかけたことに対し、みんなの戸惑いと沈黙が続いたあと、「私、食べる」とその饅頭を受け取る。

ここには、切実さを経由しなければそこに行けないような、同時に、切実さだけでは絶対に終わらないという意志のようなものが顔を出していると思う。それを読者の一人としてユーモアと読みたいし、そのユーモアが「私」と読者を救うのだ。

全五章で二二個のエッセーが読めるが、その中でダントツの長さを持つのが「絶縁した父の話」であることにも胸を打たれる。あれほど著者を、著者の母親を苦しめ、縁切りまでした父を、それでも小林エリコさんは好きなんだ、と涙腺を緩くして読む。するとこのエッセーの最後の三行で、ピシャリと気を引き締めなければならないような結語がやってくる。

「あなたはなにも悪くない」。そう言ってくれる本は世にたくさんある。本書のタイトルは「わたしはなにも悪くない」だ。いま苦しんでいる人には、少しだけ上から「あなたはなにも悪くない」と言ってくれる本よりも、すぐ隣で「わたしはなにも悪くない」と顔を上げて語っている本のほうが救いになり、友だちになってくれると思う。

「私」にとっての「ゆみちゃん」のように。
この記事の中でご紹介した本
わたしはなにも悪くない/晶文社
わたしはなにも悪くない
著 者:小林エリコ
出版社:晶文社
以下のオンライン書店でご購入できます
「わたしはなにも悪くない」出版社のホームページはこちら
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