外山恒一連続インタビューシリーズ「日本学生運動史」 もうひとつの〝東大闘争〟 〝影の指導部〟としての〝ゼロ・フラクション〟 「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く⑩|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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もうひとつの〝東大闘争〟
更新日:2019年8月2日 / 新聞掲載日:2019年8月2日(第3300号)

外山恒一連続インタビューシリーズ「日本学生運動史」
もうひとつの〝東大闘争〟 〝影の指導部〟としての〝ゼロ・フラクション〟
「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く⑩

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外山 
 で、火事が七八年ですね?
森田 
 ええ、七八年九月です。まあともかく、文学部でまず自治会選挙に勝って、その後、今度は農学部の自治会でも選挙に勝ったんです。医学部は東大闘争後に、そもそもぼくらの学年が本郷に進学した時に自治会選挙で勝っていて、それからずーっと執行部をとり続けてた。ただ、これもあんまり知られてないことなんですが、医学部の全共闘の内部では実は分裂が起きてて、医学部の学生と精医連の医者たちとの間で紛争が起きて、軽いゲバまでやってるんです。一九七六年頃です。それがどういう話だったのか、ぼくには結局よく分かりません。学生たちの「精医研」と医者たちの「精医連」というのに分裂してね。駒場のベ平連で一緒だった奴も「精医研」というグループにいたらしいんだけど……とにかく七〇年代って、ワケの分かんないミニチュア党派が山のようにあるんですよ。そこらへんはもはや分かりようがないですよね。ネットにも情報はない。マル共連(「マルチメディア共産趣味者連合」。〝左翼オタク〟が集まるサイト)なんかにも出てこないものが、たくさんあります。とくに中国派系の地域党派とか……学内の運動でも、自治会執行部を占めている場合はまだ情報が出てくるけど、自治会なんかどこもだんだんなくなってくるからね。ミニ・サークルとして持続して、そこにミニ・ボスがいるっていうパターンもよくあるじゃないですか。そういうのは、どこにどういうものがあったのか、まったく分からないですよ。
外山 
 さっきの「8・25共闘」に関連して、もうひとつ途中で話がそれちゃったのがあったでしょ?
森田 
 えーと、ああ、日学戦ですね。
外山 
 そうです。そこらへんの話を聞いてなかった。
森田 
 マル青同に行っちゃった連中は、もう行ったきり戻ってこないでしょ。ぼくの友達が日学戦とマル青同の研究をやってるんですが、あれはどうも同じものだったんじゃないかと云うんですよ。当時は同じものだとは全然思わなかったし、彼らもそんなことは云いませんでしたけどね。反社帝(社会帝国主義とはソ連のこと)では同じなんです。日学戦というのは、それこそ駒場寮に持ってた部屋の名前が「マカロニほうれん荘」ですからね(笑)。そういうようなニコポン路線〔註1〕で、その後は部落解放同盟のほうに行った奴とか、あちこちに何人もいます。彼らのキャップをやってたK君というのは、私立武蔵高校の出身で、つい最近も会ったことがあるんですが、あいつ、党を辞めてないんだろうなあ。不思議な感じだよねえ。党派の人間のくせに、ゴリッとしてなくて、誰とでも話ができるような奴なんです。彼が駒場では総責任者だったもんだから、最初はおそらく、Kのもとで駒場のノンセクトも全部、日学戦に入れてしまおうって考えてたんでしょう。

だけど〝ゼロ・フラク問題〟というのが起きて、まあぼくもあんまり詳しく聞いたわけではないんだが、要は駒場のフラクションで会議を時々やってて、しかしそのうちに、そこですべて方針は決めるもんだと思ってたら、どうも駒場のフラクションとは別のところに〝指導部〟らしきものがあるってことに、みんな気づき始めるんですよ。その〝影の指導部〟のことが〝ゼロ・フラクション〟と呼ばれるようになる。つまり「なんか怪しい話みたいだぞ」ってことで動揺が広がって、せっかく日学戦がそれまで時間をかけて作ってきた、ナントカって名前の駒場のフラクションが、結局は瓦解しちゃうわけです。だけどその後も駒場のノンセクトは脈々と続いてはいて、八〇年代に入ってからかな、ネットでも有名な〝いずみ〟〔註2〕さんだとか……いや、彼らはもう昭和・平成の代替わりがあって以降の、〝八九年〟世代かもしれない。ぼく自身は八〇年の三月まで大学にいますから、文学部の闘争に関しても七八年ぐらいから八〇年までのことは知ってるんですが、八一年以降の話は、噂として聞いてるだけなんです。でも、八二年だったか、民青のあの巨大な牙城である駒場の自治会選挙に、ノンセクトが勝っちゃうんですよね。その話は聞いてますか?
外山 
 何度かそういうことがあった、という話を聞いたことがある気はしますが、正確なことは知りません。
森田 
 三期連続で勝ったんです。八二年から八三年にかけてだったと思います。たぶん民青もそれだけ弱くなってたんでしょうね。それ以前に、そもそも駒場の動向としてもうひとつ話しておかなければいけないことがあった。七二年に解放派と革マル派の激突があって、それ以降はもう解放派は表に出られなくなってしまいますよね。そしたら、実はそれまで結構な勢力はあったんだけど、解放派がいる間は公然と出てこられなかった協会派が、表に出てくるんです。で、一挙にサークル連合執行部を乗っ取っちゃうんですよ。駒場には、自治会とは別に「学友会」というのがあって、それで、ウンダイ、ブンダイと略称されるんだけど、つまり「運動部代表者会議」、「文化部代表者会議」ですね。それらの執行部を獲っちゃってね。もともと学友会まで民青が獲ってたわけではなくて、六〇年代は、フロントっていう党派は、今村俊一というのが自治会委員長になるまでは、この学友会を拠点にしてたんです。構造改革派って、〝お勉強〟が好きな党派だから、そもそも〝サークル連合〟みたいなのをやってるほうが体質的にも合ってるんですよ。そこを今度は、七二年以降は協会派が獲る。協会派も〝お勉強〟が好きですからね。あと、「クラ活」だ。「クラス活動者連絡会議」っていうのがあって、それを核として協会派が学友会執行部を握るようになって、一時期はかなりの勢力でした。
〈次号につづく〉
〔註1〕ネットによると、「《にこにこして、相手の肩をぽんとたたくことから》親しそうに応対して相手を懐柔すること。もと、明治後期の首相、桂太郎の巧みな政党懐柔策を評した語」とある。
〔註2〕新宿ロフトプラスワンでイベント「いずみちゃんナイト」を主催する、一九六五年生まれの米沢泉美氏のこと。
【編集部より】本稿は、森田暁氏の記憶に基づいたものです。当時の情報は編集部までご一報下さい。
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