ときめき百人一首 / 6404( 河出書房新社)和歌と現代詩の往復 心を砕いて現代語に直す|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年8月3日 / 新聞掲載日:2019年8月2日(第3300号)

和歌と現代詩の往復
心を砕いて現代語に直す

ときめき百人一首
著 者:小池 昌代
出版社: 河出書房新社
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数年来、『百人一首』の現代語訳にとりくみ、多くの人から、「それにしても畏れ多いことを引き受けたものだよ」とあきれられてきた。一番そう思っているのはわたし自身だ。和歌を読むと、和歌が鏡となっていろいろなことを考えさせられる。たとえばなぜ自分は、俳句・短歌でなく、現代詩を選択したのか。
最初は和歌に対し、タブーに近い感情もあって、近づくと、飲み込まれてしまいそうで怖かった。怖いということはかなり惹かれていたということか。今は和歌と現代詩を往復することで、自分のやせた詩に新しい血を輸血したように感じる。時間的に古い時代の歌が、現代詩を励ますとは不思議なことだ。ごく単純な意味でも、和歌から与えられた富やよろこびは、計り知れない。同時に読んでも読んでも、わからないことは多く、歌を畏れるきもちは深まるばかりだ。

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする



『百人一首』に収められた式子内親王の歌だ。長く生きても、この恋を忍ぶ力が、この先弱まってしまうかもしれないから、いっそのこと、死ねよと自分に告げている。孤高の内親王の生涯は、忍ぶことの連続であったと思う。歌を読みさえすれば、どこにいても、この歌人の火の出るような孤独に、直接、触ることができる。命の火が吹き出すような歌だ。その火は、詩歌を読み続けていく、少数者の孤独をも燃え立たす。歌は強い。歌の中心で歌を支える、孤独のちからが強いのだ。

本書に出した、和歌の現代語訳は、原文解釈というより、和歌から「詩」を抽出するという態度でつけた現代詩訳だ。最終的にこの部分は、読み捨ててもらうようになるのがいいと思う。

心をくだいて現代語に直したが、原文から聞こえる音楽に身を委ねなければ、和歌を読む甲斐もない。一番、最初に和歌に出会ったとき、「わたしはいったい、何を読んだのだろう」とわたしは思った。意味はわからなかったが、言葉の流れを肉体で味わった。本を読み、意味を知り、背景を知り、歌人の横顔も知って、再び、みたび、歌を読むが、優れた詩歌というものは、どこまでいっても、「わたしはいったい、何を読んだのだろう」というきもちにさせる。そこを出発点として、十年、二十年、三十年。生きているうちに、いつか、わたしは、わたしたちは、「和歌」に、追いつくことができるだろうか。
この記事の中でご紹介した本
ときめき百人一首/ 河出書房新社
ときめき百人一首
著 者:小池 昌代
出版社: 河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
「ときめき百人一首」出版社のホームページはこちら
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