梅原 猛 寄稿 [三島由紀夫氏への公開状] 死せる“神の思想”の復活 ――「対話・日本人論」にひそむ誤謬 『週刊読書人』1966(昭和41)年12月5日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人アーカイブス
更新日:2019年8月4日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第653号)

梅原 猛 寄稿 [三島由紀夫氏への公開状]
死せる“神の思想”の復活 ――「対話・日本人論」にひそむ誤謬
『週刊読書人』1966(昭和41)年12月5日号 1面掲載

このエントリーをはてなブックマークに追加
第5回
神風連から蹶起将校への線

こういうあなたに何をいっても始まらぬ気もしますが、この本の中には首尾一貫した思想があります。それは一言でいえば神の思想なのです。この対話の中で再三再四くり返される思想は、日本民族の思想的核心は神風連にあるということです。何故、神風連に日本民族の思想的核心があるのか。あなたはそれをトインビーの史学で解釈するようです。トインビーはしばしば、二つの文明が接触した場合、一つの文明は他の文明を一部採用しようとするが、それは出来ない、一ヶ所穴が開いて崩れたらもうおしまいだ、全部入って来てしまうといいます。トインビーはこれが、西欧文明と非西欧文明との文化接触の歴史だといいますが、あなたはこの説を日本の場合にもあてはめて明治以後の日本は、結局全面的にヨーロッパ文化を受け入れた、これが日本を植民地から守る唯一の道だったというのです。ところがこのような形で入ってきたヨーロッパ文化そのものが現在では堕落し、大衆文化となっている。従ってこの大衆化した輸入文化にたいして貴族的な国粋文化の反発が必要である。つまり、入ってくる西欧文化にたいして、全く日本的な魂にもとづいて、日本的な武器によって悲劇的な反抗をこころみるひとびとがいなかったなら、文化は全くヨーロッパ化すると同時に全く大衆化するにちがいないというわけです。こういうふうに、移入文化にたいして、日本的な魂にもとずいて、日本的な武器による悲劇的な反抗を最初に企てたのが神風連だというわけです。

この神風連の精神は、二・二六事件の蹶起将校によって受けつがれます。蹶起将校はヨーロッパ的なまがつびの神をしりぞけ純粋な日本の神である天皇親政の世を実現するために、「憂国の至情」をもって蹶起します。しかし、残念なことには、天皇自らがこの憂国の魂を裏切り、ヨーロッパ的合理主義、まがつびの神に屈したのです。おどろくべきことには、あなたはこの二・二六事件の処理、純粋憂国主義の合理主義にたいする屈服に、日本の敗戦の原因を見ているのです。敗戦は純粋に物量的な問題ですという林房雄さんにたいし、あなたは、あたかも、もし青年将校たちが政権をとっていたら、天地神明は、青年将校の純粋な魂に感じてあの戦争を勝利に終らしめたのではないかということをおっしゃりたいようです。そしてあなたは精神の伝統としてこの神風連から蹶起将校への線しか認めず、福沢諭吉を認めようとする林さんに「あなたが私より右翼的なので驚いている」といわしめています。
1 2 3 4 6 7 8 9
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人アーカイブスのその他の記事
読書人アーカイブスをもっと見る >
学問・人文 > 評論・文学研究関連記事
評論・文学研究の関連記事をもっと見る >