梅原 猛 寄稿 [三島由紀夫氏への公開状] 死せる“神の思想”の復活 ――「対話・日本人論」にひそむ誤謬 『週刊読書人』1966(昭和41)年12月5日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年8月4日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第653号)

梅原 猛 寄稿 [三島由紀夫氏への公開状]
死せる“神の思想”の復活 ――「対話・日本人論」にひそむ誤謬
『週刊読書人』1966(昭和41)年12月5日号 1面掲載

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第6回
国学者たちのウソによって

たしかにあなたの歴史観は、まことに独創的であると共に、首尾一貫していて、その意味では大へん面白いのですが、基本的にまちがっていると思います。だいいち、神風連と天皇神の思想を、日本古来から現在まである独自な日本の思想と考えるのは間違いと思います。神風連は篤胤の国家から出てくる行動哲学だと思いますが、国学、特に篤胤は、日本について重大な誤謬を犯したことは、私がくりかえし、くり返し論じたことです。彼等は思想についてラッキョウの皮をむく人の誤謬を犯したと思います。現在あるものから外来のものをさし引いたところに、日本独特なものが出てくると、日本の思想から儒教をさし引き、仏教をさし引き、そして残ったものを日本独自なものとしたようですがそういう方法では、とても日本文化独自なものは出て来ないのです。日本精神というものは、むしろ、多くの文化を移入しながら、それをどのように咀嚼し、どのようにそれを自己のものにしていったかという方向において考察さるべきで、国学のように減算法で残ったものを日本文化とするのでは日本文化の内容を全く貧しくしてしまうだけです。

こうした減算の結果、国学者は残ったものを、天皇神の思想と考え、これこそ日本独自なものと考えました。ここに国学者たちの大ウソがあったわけです。天皇を神とする思想、たしかにそれは古事記、日本書紀にあります。むしろ古事記、日本書紀には、天皇及び天皇家を神にしようとする露骨な意図が見えます。何故か。私はここに万葉集において天皇の中でも唯一人神とよばれている天皇、すなわち天武帝の自己及び、自己を神格化しようとする露骨な意図を見るのです。あなたの自己を神とする人間という思想は、日本の精神史の上では、誰より天武帝にふさわしいと存じます。しかも天武帝には明らかに仏教の影響があります。日本独自といわれる天皇崇拝、あるいは、それは仏教の天皇崇拝、大日崇拝の日本的変形ではないかとも思われます。

だいたい、日本では真の神は自然の神であります。伊勢神宮は雷の神であったといわれます。雷の神で、海人部の守護神を、皇室の神にしたのは、やはり壬申の乱における海人部の功績を愛でた天武帝のしわざであるというのが、最新の歴史学者の説のようですが日本では神はもともと自然の神でありました。篤胤は、仏教と混合した神崇拝を不純なものとして排し仏教移入以前の純粋神道にもどしたつもりでいましたが、神観において実は大へんな近代化を行ったのです。つまり、自然神から人間神への転化です。古代日本人のもっていた自然信仰、その自然信仰の上に、仏教、特に密教が入りました、大日如来は自然神なのです。こうした自然神が、神道と仏教の共通な神でした。しかし篤胤は天皇神を神の中の神とすることによって神の人間化を行ったのです。それ故篤胤の思想は、古代神の復興ではなく、新らしい人間神の樹立であったわけです。
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