梅原 猛 寄稿 [三島由紀夫氏への公開状] 死せる“神の思想”の復活 ――「対話・日本人論」にひそむ誤謬 『週刊読書人』1966(昭和41)年12月5日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年8月4日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第653号)

梅原 猛 寄稿 [三島由紀夫氏への公開状]
死せる“神の思想”の復活 ――「対話・日本人論」にひそむ誤謬
『週刊読書人』1966(昭和41)年12月5日号 1面掲載

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第7回
ニーチェと違うひ弱な知性

近代の日本人は、自然神を神とする信仰を失っていました。大自然の生命、その生命は己の中に宿って心となる。そういう大自然のあらわれとしての自然と心の崇拝を近代日本人は失ってしまったのです。その代り、一つの神、分裂した日本を一つの統一国家とするあまりに政治的機能をもった人格神を発見したのです。こういう新らしい神創造の理論が国学の理論であり、それは一切の信仰心を失い、己の魂の故郷を喪失した近代人の虚ろな魂のおくにしのびこみ神なき世界におけるにせ神造りの役割を果したと思うのです。

あなたは自己の思想をニーチェの思想に比していますが、とんでもない話しです。ニーチェはかつて自己が神としたあらゆる偶像を破壊する虚無の情熱にあくまで耐えた人です。神があるならば、どうして自己が神でないことに耐えられようか。あなたはかつて少年の日に一つの神のために死ぬ青年の美しい像を見ました。「たしかに二・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだった。当時十一歳の少年であった私にはそれはおぼろげに感じられただけだったが二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の恐ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、どこかで密接につながっているらしいのを感じた。

それを二・二六事件の陰画とすれば、少年時代から私のうちに育まれた陽画は、蹶起将校たちの英雄的形姿であった。その統一無垢、その果敢、その苦さ、その死、すべてが神話的英雄の原型に叶っており、かれらの挫折と死とが、かれらを言葉の真の意味におけるヒーローにしていた。」

ニーチェは自己の依拠したすべての神を、それが果して神であるかを疑い、喪神の世界の虚無に耐えることを、男性的知性の誇りとしました。しかし、あなたは子供のとき見た神と、神の使徒を絶対化するのです。そこに私はニーチェと全くちがってあまりにもひよわな知性を見るのです。あなたは太宰治や亀井勝一郎を青白い未成熟な魂として責めますが、子供のときに見たカッコヨイ神の像を四十一歳にもなって、何の疑いをもたず復興する知性は、まことに青白い未成熟な知性ではありませんか。すべての神を否定し、新らしい創造に生きるニーチェの虚無主義は、あなたには全く無縁と思います。あなたは結局、大衆世界への絶望の果に、子供のときにみた一つの神とその神への使徒に、いささか、ものうげな疲れ切ったあこがれの眼を投げるロマン主義者に外ならないのです。こういうロマン主義者こそ、ニーチェがもっとも軽蔑した当のものなのです。
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