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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年8月12日 / 新聞掲載日:2019年8月9日(第3301号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(18)

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「街に戦場あり」については、それが始まる前に、中平さんと私はその予告世界に投じられたような体験をしていた。

寺山修司は異色の〈競馬評論家〉としても人気があったが、連載小説以来寺山さんとちょくちょく会っていた中平さんはよく馬の話を聞かされていたらしい。
「まあ全部作り話だけどね。あなたは競馬をやったことがあるの?」
「友だちについて場外馬券売り場に行ったことしかありません。中平さんは?」
「ないことはないがやりたいとは思わない。でも寺山さんの話を聞いているとすごく面白く思えてくるんだ。もっとも彼はレースの予想とか見立てではなく馬の話を、それもまるで人間のことを言っているように話すんだけどね。ニホンピローエースとかいう馬がいいんだって。長距離ではないけど中距離ランナーの孤独みたいな馬だって」

私は競馬場を見たことがなかったし馬券の買い方もろくに知らない。だから結局、「何事も体験。じゃあ一度体験してみますか」ということになった。

成り行きからの初めての体験が皐月賞という重賞レースだった。それを見に中山競馬場へ二人で行った。「寺山さんには会いたくないなあ」、しかし「何万人も集まるところだ、会うはずがないさ」と話しながら、私たちはそれしか知らないニホンピローエースの馬券を買った。どんな種類の馬券だったかも覚えていないが、とにかくその馬がそのレースを制したのだ。まさにビギナーズラックだった。

親しみを込めて応援したのはただ一頭。それが逃げて逃げてゴールまでついに逃げ通して一着になった。寺山さんの言うように、ほんとうにあの「長距離走者の孤独」の少年院の青年コリンのようだと思った。ただニホンピローエースはゴール前で止まりはしなかったけれど。

二人が買った馬券は一番少額の一枚ずつだったから「当てた」といっても僅かなバック。しかしすっかり寺山ワールドにはめられた感じだった。

そして翌月は日本ダービー。ニホンピローエースももちろん出走。これには私だけが行った。結果は惨敗の20着。逃げ馬なのにはじめから群に巻き込まれてしまって姿を見つけることさえやっとだった。

翌日のスポーツ新聞の一面に、寺山さんが「ニホンピローエースよ、花と散れ」と題した美しいエッセイをその馬に捧げた。新宿で中平さんに会って新聞を見せると、「これを書きたくてあの馬に目をつけたな」と笑った。

そんな伏線があって「街に戦場あり」の撮影が始まったわけだ。写真は森山さんと隔週の担当だったがそれでもかなり慌ただしい。

中平さん担当の最初の寺山テキストは「放浪の馬への手紙」というまたもや「馬」に捧げる哀しいエッセイ。夕方の朝日新聞社出版局のアサヒグラフ編集部の片隅でそれを流し読みして川崎競馬場、芝浦の屠場にも行かねばならないことが分かった。入稿まで二日間の時間しかない。
「完全に寺山にはめられた感じだね」と、中平さんは「参ったなあ」を連発した。

私は急にどうしてこんなことに付きあわなくちゃならないんだと思い始め、「ぼくは行きません」と言った。でも中平さんは「寺山の馬の話はあなたから始まったんだよ。だからとにかく付きあってもらうよ」と譲らなかった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号へつづく)
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