中沢直人『極圏の光』(2009) なくしそうな傘と電車に揺られおり正直に謝ればよかった |書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2019年8月12日 / 新聞掲載日:2019年8月9日(第3301号)

なくしそうな傘と電車に揺られおり正直に謝ればよかった
中沢直人『極圏の光』(2009)

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「傘をなくしそう」という予感を携えながら移動する、という感覚は確かに身に覚えがある。頭の片隅にあればなくさないのかというとそんなこともなく、不思議なことに「なくしそう」という感覚を抱えたまま本当になくすのだ。説明のつかない「喪失の予感」が傘に象徴され、それが「正直に謝ればよかった」という後悔へとつながってゆく。「なくしそうな」ものは傘だけではない。ちょっと意地を張ってしまったばかりに失ってしまった人間関係などいくらでもあるのだろう。「傘をなくす」というありふれた経験が人生の重要なメッセージへと寄り添ってゆく。誰の心にでもストレートに届くような名歌であると思う。

「なくしそうな傘」と並列されて電車に揺られる主人公は、もはや傘と同じ位相にある存在だ。傘を擬人化しているというよりは、人間が「擬物化」されているといえるのだろう。

歌集で一つ前に置かれているのは〈遮断機に秋の陽あわし滅ぼせと連呼して特急はよぎりぬ〉と、やはり鉄道の歌である。遮断機は二つの世界を隔つ象徴的なモチーフだし、そこを特急がよぎってゆくのも、二つの世界が暴力的なまでに切断されることを意味している。あえなく「滅ぼ」されてしまった、遮断機の向こうの世界。もう決して戻ってこない何か。いくら後悔したってし足りない思いを抱えながら、人は「なくしそうな傘」をその予感通りになくしてしまうことを繰り返し、ままならない日々を積み重ねてゆく。(やまだ・わたる=歌人)
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