加賀乙彦 寄稿  サイケデリック芸術論 ――LSD幻覚と文学 『週刊読書人』1968(昭和43)年6月10日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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  5. 加賀乙彦 寄稿  サイケデリック芸術論 ――LSD幻覚と文学 『週刊読書人』1968(昭和43)年6月10日号 1面掲載
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更新日:2019年8月11日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第715号)

加賀乙彦 寄稿
サイケデリック芸術論 ――LSD幻覚と文学
『週刊読書人』1968(昭和43)年6月10日号 1面掲載

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第2回
全く新しい世界の誕生

加賀 乙彦氏
ところで、私がLSDを試みたのは、LSD中毒の流行がアメリカでおこるずっと以前、一九六〇年頃友人の医学実験の被験者としてであった。当時、まだ文学には無縁の医学者であった私は、この人体実験のおかげで心の奥底からゆり動かされてしまった。私の肉体と精神と私を取り囲む世界とについて、私は今まで思ってもみなかった数々の現象を体験した。

その日私は、頭に脳波の電極をつけられ、ダンボール箱のような簡素な実験室にとじこめられていたが、その単純な狭い密室が私にとって全く新しい広い世界の誕生を告げてくれたのだ。

不意に、皮膚が火照ってくる。一枚の熱い皮が体の表面からうきあがって私を包みこんでいる、そんな感じである。白いはずの壁が緑色に輝やき、しかも柔かな布のようにたるんでみえる。と、それは焦げて黒変し、今度は炎をたてて燃えはじめた。私と世界との境界は失われた。私の肉体は、部屋と融け合ってしまい、私の体が熱く冷くなるとともに部屋の色彩もめまぐるしく変った。そして私は、次第にけだるい、重い肉塊へと変質していった。甘い濃い蜜をたっぷりとつめこまれたような手足が、まるで他人のもののような体が横たわっている。私は動くことができない。私はべったりとベッドに張り付いていた。そして幻覚がはじまったのだ。

何かを見たというのは正確な表現ではない。たしかに私は数々の情景を見たが、同時に感じてもいたのだ。それはいわば全意識的な変容であって、ある特定の知覚に還元できない。私たちが見るとか聴くとか呼んでいる諸知覚のもとに、統一的な意識の状態がかくされていること、いや、意識の状態という主観的なものでさえなく、世界と私との密接不可分な関係とでもいうべきものがあることを私は了解したのだ。私は今、自分の体験を表白するのに言葉も方法も不足しているというもどかしさを覚える。それは、ハイデガーの《存在了解》とか、メルロポンチの《裸かの知覚》という領域の現象なのである。私自身は、これからもそれを表現することが自分の小説を書く大きなモチーフになるだろうという予感がある。マロニエの根におぼえた《吐き気》がサルトルの存在論の基礎にあるとすれば、LSDによる存在了解が私の文学的出発点にある。が、今は理性によって対象を整理し、具体的・分析的に記述するという古風な主知主義的方法で満足せねばならない。

LSDの幻覚は、あらゆる知覚に及ぶ。それは視聴味嗅覚から体の内部の《深部知覚》までを異常にゆがめてしまうのだ。たとえば私は美しい若い女たちの裸形がまわりにふわふわとただよっているのを見る。女たちは白赤黄の色彩の帯でくるまれている。その暖かですべっこい柔い肌が私をなでていく。彼女たちは甘酸っぱい液体の中につめこまれていて、鈍いこもったような音をたてて泳ぎまわる。私のセックスから臍のあたりへ波うつ快感がのぼってくる。
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