加賀乙彦 寄稿  サイケデリック芸術論 ――LSD幻覚と文学 『週刊読書人』1968(昭和43)年6月10日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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  5. 加賀乙彦 寄稿  サイケデリック芸術論 ――LSD幻覚と文学 『週刊読書人』1968(昭和43)年6月10日号 1面掲載
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更新日:2019年8月11日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第715号)

加賀乙彦 寄稿
サイケデリック芸術論 ――LSD幻覚と文学
『週刊読書人』1968(昭和43)年6月10日号 1面掲載

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第3回
魔力が萎えたときの失望感

しかし、こういった幻覚はほんの一刻で次の新たな幻覚へと変っていくのだ。小さなガラス玉を無数に集積したような海が見える。

ガラス玉をばらまくように波が砕け散る。波が去ったあと、濡れない砂の表面を不思議に思っていると、黄金まぶゆい雲がみえてくる。ギリシャ神殿の白い柱が見える。砂漠の熱気が吹きわたる。と思うと私は再び密室にもどっている。ベッドも壁も、私の手の指さえも、角張った幾何学的な模様にみえる。壁は正方形で、指は円筒形だ。他人の顔は完全な球形で、書物は石膏でつくったように四角い。

こんなふうに書いていけばきりがない。私は自分の体験を記録するために何百枚かを費やさねばならぬ。数かぎりない多彩な知覚の異常がおこった。光度感覚の異常、親近感の混乱、錯視、幻視など、精神医学の教科書に書かれてあるあらゆる幻覚オン・パレードなのだ。現実世界と私との間は、いくえもの厚い帳がたれこめてしまい、私は無時間的な幸福感にひたっていた。数時間が永遠に思われた。LSDの魔力が萎え、単純で平凡な実験室が私をとりかこんだときの失望を私は思いだす。現実とはなんてきたないんだ。なんて味気ないのだ。

その日以後、私は世界を二重に見るようになった。現実世界の裏側には幻覚の世界がかくれていると信ずるようになった。《この女は美しい》とか《机は四角だ》とかいったような手垢にまみれた表現を越えた表現でないと満足できなくなった。すべて常識的な見方を転倒させること、そのうえに独創的な表現を構成させること、こうして精神は拡大するのだ。
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