古谷田奈月インタビュー それをいつ受け入れたのか? 古谷田奈月著『神前酔狂宴』(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年8月16日 / 新聞掲載日:2019年8月16日(第3302号)

古谷田奈月インタビュー
それをいつ受け入れたのか?
古谷田奈月著『神前酔狂宴』(河出書房新社)

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第3回
〝当たり前〟の分からなさ

古谷田 奈月氏
――本書のテーマの一つである結婚式は社会の慣例や矛盾、虚飾があらわれるところだと思いますが、世の中で当たり前だと思われていること、そこにありながら不可視化されているもの、慣習や伝統、色や音のような五感、人間の生死というものまで、古谷田さんの作品には一貫して、それが本当はどういうものなのかきちんと向き合って考えてみようという姿勢が感じられます。
古谷田 
 それは伝統の否定ではないんです。否定ではないのですが、単にわからないことが多い(笑)。学校に通う、就職する、結婚する、そういうことをみんなすごく納得してやっているように見えて、それで余計に自分の無知や物わかりの悪さが際立って感じられる。みんなはどこで生き方を教わるんだろう、というか、自分は学校ってところに通うんだってわかって生まれてきたの? それいつ知って、いつ受け入れたの? みたいな、極端に言うとですけど。そういうところをずっと見て書いているという感じです。

――天皇制自体が明治時代に日本を近代化するために作られたものですよね。当たり前に思っていたものが当たり前ではない。でも、梶ではないですが何か拠り所がないと、この社会の中で〝当たり前〟の生活を回していけない。
古谷田 
 そうなんです。生きていけないんです。今回、元号が変わるとなったときに感じたことですが、私の周囲に多くいるリベラルな人たちは基本的に天皇制に反対で、元号が変わるからなんなの、昭和だの平成だのっていう時間の捉え方は意味ないから西暦だけでいいというスタンスでした。その考えは本当によくわかるんだけど、今回この作品を書きながら色々と調べているうちに、そうではない時間の中に生きている人たちも大勢いるんだと実感しました。それはたとえば明治一五〇年とか言いたがる人がいるとかそういうことではなく、皇室という存在を身近に感じて生きている人がいるということ。天皇制は人権問題で元号は無意味、そう割り切れるのはたまたまそういう価値観でいられる環境に生まれたからにすぎない。天皇という存在が必要な人、元号という時間の区切りを大切にしている人というのは実際にいるし、そういう人は自分が特別な思想を持っているなんて思ってない、ごく自然にそうなんです。長く続いてきたものの中にはそこに関わってきた人たちの日常と、それからもちろん心が残っているのに、そういうところに配慮しながら制度批判できているのか疑問です。本当に変化が必要だと思うのなら、自分と異なる環境に生まれ、異なる価値観を持っている人を尊重した言動で議論してほしいし、相手にとって「ある」ものを「ない」と切り捨てるのはやめてほしい。自分が正しいと信じ込んで極端な物言いになるのは、右派にも左派にも共通する問題だと思います。
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この記事の中でご紹介した本
神前酔狂宴/河出書房新社
神前酔狂宴
著 者:古谷田 奈月
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
無限の玄/風下の朱/筑摩書房
無限の玄/風下の朱
著 者:古谷田 奈月
出版社:筑摩書房
以下のオンライン書店でご購入できます
リリース/光文社
リリース
著 者:古谷田 奈月
出版社:光文社
以下のオンライン書店でご購入できます
「リリース」出版社のホームページはこちら
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