洗礼ダイアリー 書評|文月 悠光(ポプラ社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年11月18日 / 新聞掲載日:2016年11月18日(第3165号)

洗礼ダイアリー 書評
「生きてる詩人」の取扱説明書 自己発信型「ポエドル(詩人+アイドル)」の現在形

洗礼ダイアリー
出版社:ポプラ社
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洗礼ダイアリー(文月 悠光)ポプラ社
洗礼ダイアリー
文月 悠光
ポプラ社
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「臆さずに〈平凡で垢抜けない私〉のことを書き出してみようと考えました」と著者は語る。手軽に自己発信できるSNSが日常化したネット社会、加えて近年のアイドルブーム再来は、今や現代詩の世界においても変化を見せつつあるようだ。北海道の路上で詩の朗読を始めた中学生の「朗読少女」は、十八歳で中原中也賞を受賞し「女子高生詩人」となり、やがて詩が「かわいさ」や「軽さ」によって消費されてゆくことを痛快に感じるようになる。大学在学中には「詩×女の子(アイドル)の可能性を学ぶ旅」に出るべくアイドルオーディションに自ら出場し、「詩人の枠からはみ出した〈詩を書く人〉になる」ことを目標に掲げた「ポエドル」。本作はそんな著者の歩みを知ることができるウェブマガジン連載エッセイの書籍化である。

「生きてる詩人」であることの喜びや「詩人」そのものへの想いが綴られる『脳みそはみんな同じ』、大学卒業後に駅のジューススタンドでアルバイトをした『いらっしゃいませの日々』、朗読イベントで初対面の男性客に「あなたの朗読にはエロスが感じられないね。最近セックスしてる?」とセクハラ発言をされた『セックスすれば詩が書けるのか問題』、努力したにもかかわらず同級生の女子に敵視された高校時代を綴る『スクールカーストのち、雪』、など、「東京で様々な洗礼を浴びながら、世界への憧れと疑いを綴った」という十五篇は、時に悔しさやもどかしさ、やりきれなさを色濃く纏っている。かつてのセクハラ発言に対し「恋人がいてもいなくても、セックスしてもしなくても、詩は書ける。どんなときでも、飛びきり良い詩を提供できる」と宣言されるように、当時できなかった他者への応答を本作でようやく成し得た「臆病な女の子」の本音を垣間見ることもできる。

だが〈生きづらさ〉を前面に、自己の傷つきやすさや不器用さ、世間や他者の理不尽について語ることは比較的容易だ。ときに読者、とりわけ当事者という読者の存在に躊躇うことなく心境を綴る様は、憧れの「詩人」の肩書きと共に成長した無邪気な「朗読少女」のモノローグを思わせる。読者にも「数限りない多くの〈洗礼〉が降り注ぎますように」(『あとがき』)と語りかけるとき、本書が誰かに向けて降らせるであろう〈洗礼〉もまた、果たしてその名に相応しいのか――いささか疑念も残る。「詩人ってどんな生きものだろうか」と問い、その長所短所やイメージとのギャップを述べ、詩人だって人間なのだと主張する時、本書はあたかも「生きてる詩人」としての著者の取扱説明書のようでもある。

「普通になりたい」と願い、「冴えない私から解き放たれて、いつか〈ほんとうの私〉になれるはず……」と思い悩み、自己の「凡庸さ」を紹介しながら、なお「詩人」であろうとする「ポエドル」の模索。自撮り(自分自身を撮影した写真画像)をSNSに投稿し他者の反応に一喜一憂しつつ、「詩人」のみならず「個」や「女性」としての承認欲求をも素直に示す自意識のあり方(『自撮り流星群』)もまた、現代において極めて日常的な自己発信という表現方法であり、アイデンティティ確立の手段でもあろう。「気づけば二十四歳。でも、まだ夢を見ていたらダメですか?」――そう問いかける著者に、さてあなたなら何と答えるだろうか。
この記事の中でご紹介した本
洗礼ダイアリー/ポプラ社
洗礼ダイアリー
著 者:文月 悠光
出版社:ポプラ社
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