中平卓馬をめぐる 50年目の日記(20)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年8月26日 / 新聞掲載日:2019年8月23日(第3303号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(20)

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自由が丘駅前には、「自由が丘デパート」という長屋風二階建ての商業施設があった。今は改装して4階建てになっているようだ。

どこも小ぶりだが、レストラン、喫茶店、万年筆屋、メガネ屋、各種衣料品などさまざまな店がほどよく揃って便利なところだった。そこの二階の駅に近い端っこにあった喫茶店を中平さんは好んで、なにかにつけ会う時はその店を指定された。

私もまた平塚の生活に飽きて、友人の母親に手紙を書いた。期待に応えられなくて申し訳ないが状況が変わってきたので出ます、という内容である。友人は引き留めてくれたがとにかく私はもう少し写真に熱中したくなっていた。

何を撮るというより、撮ったネガがたまって行くのが楽しくなっていた。平塚の家の私の部屋の棚にそのネガを入れたトレーが積み上がってゆくのが楽しかったのだ。だからその積み上げのピッチをもっと早めたいと思った。それには生活のリズムを変えなければならない。友人の母から「分かりました」という返信を受け取った私はすぐに引っ越し先を探し始め、京王線仙川駅の武者小路実篤邸のすぐ近くにある家の、二階にアパートを増設した部屋の一室に移った。

押し入れに引き伸ばし機を置き、横にプリント用のバットを並べた。部屋の外にある洗濯用につくられた広い流しが格好の水洗場となった。

引っ越しの報告も自由が丘の喫茶店でした。中平さんはネガ入れのトレーの話には全く興味がないようだったが、新しく越した部屋の「簡易暗室」の様子には「見に行ってもいい?」と興味を示した。「もちろん、今度試運転に使ってみてください」と私は言った。

その喫茶店でのお喋りはいつも弾んだ。といっても他愛のないお喋りで、お互いがただ勝手に話が途切れないように喋っているだけという感じが続いた。さすがに私もなんだかおかしいなと思うこともあった。その間も「街に戦場あり」は続いていて、どうでもいい話にふけっている暇は無かったはずなのだが、中平さんはもう心ここにあらず風になっていた。

撮影では川崎のパチンコ屋へも行った。「街に戦場あり」シリーズで、寺山が書いた「親指無宿」という題のエッセイに合わせた写真を撮るためである。

滑稽な図だが、有楽町の朝日新聞本社から社旗をはためかせた黒いハイヤーで川崎駅裏の大きなパチンコホールに乗りつけた。電車で行くと言ったのだが、新聞社の取材はそうした形式によらなければならないようだったから、担当者の指示に従ったのだ。

着いてホールの店員に来意を告げると、店員は近くのマイクをとって「ギョームレンラク、ギョームレンラク。アサヒゲイノーさんがいらっしゃいました」と声を張り上げた。中平さんは笑って、「違うって言わなくてもいいよ。今日はアサヒゲイノーで行こう」と私に耳打ちした。そこには30分もいなかったかも知れない。店から脚立を借りて天井に頭が触れるほどの高さからのアングルを決め、喧騒の店内を俯瞰した写真を撮ると、「もういい」と彼は言ってすぐに車に乗り込んでしまった。私は店の外まで送ってくれて「またお待ちしています」と言う店長に礼を言ってから待っている車に乗り込んだ。

私たちは有楽町までの車内でひとことも言葉を交わさなかった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号へつづく)
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