連載 オーシュの「独立と想像の映画祭」におけるシネクラブ   ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 119|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年8月26日 / 新聞掲載日:2019年8月23日(第3303号)

連載 オーシュの「独立と想像の映画祭」におけるシネクラブ   ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 119

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フランソワーズ・アルヌール(右)とドゥーシェ(1990年代)
JD 
 二〇世紀を彩る人間とは、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、マオ(毛沢東)のような、スクリーンの上に姿を見せた人々にほかなりません。見事な文明を創り上げた人々の姿、言い換えると、いかにして他人を殺すか、最も多くの人間を殺す方法を追求した人間の姿が立ち現れてきます。そのような観点からすると、彼らとシリアルキラーには共通点が見えてきます。芸術家としての仕事、西洋の人間、人類を創造した偉大なる芸術家とその素晴らしき文明、そしてビジネスマンのような姿が見えてくるのです。エンジニアとしての単なる男は、連続的な支配を作り出し、最後には、他者を消去することに達するのです。『ハウス・ジャック・ビルト』の連続殺人は最後に、たった一つの銃弾によって、複数の人間を殺すことになります。それこそが、商業的人間やエンジニアの行いの頂点なのです。つまり、西洋文明の頂点へと達することになるのです。その西洋の到達点とはダンテが私たちに示したもの、地獄にほかなりません。同時に、行くところまで行きついた西洋の人間は、それでも別の道を選び取るための迂回路があり、彼の偉大なる文明を続けることができると信じ込んでいます。しかし最後には、地獄へと落ち罰せられるのです。西洋の考え方においては、皆が地獄へと落とされるわけではありません。以上のような考えからすると、この映画は、私たちは何者であるのか、私たちの文明とは何であるのかについての考察なのです。ただの考察である以上に、私たちの文明が辿ってきた道筋を見る、もしくはその道筋の内部を見ることの強制であるのです。

ですから、『ハウス・ジャック・ビルト』を見るのは容易ではありません。それでも、当然のように、L・トリアーは観客のことを考えています。観客は、わざわざお金を払って映画を観に来ます。その点をないがしろにはできません。なので、あなたたちが見ることになる映画とは良い作品であるのです。そして、その良い作品とは、大衆に向けて連続殺人を語ることです。それぞれの段階における殺人は、明確な動機と理由を持っています。

第一の段階においては、ブルジョワの女性が被害者となります。非常に見栄えの良く、育ちのいい、ヒッチハイクをしてしまうような自由な女性が殺されるのです。通常、ヒッチハイクという行いをするのは男性です。もしある程度の歳を重ねた女性がヒッチハイクを行うのであれば、多くの男は車を停めるでしょう。問題を引き起こすことになる男は、すぐさまウェルギリウスにどの領域にいるのか分析されながら、女性からの問いかけに応えることになるのです。そして、女性の車が故障しており、ジャッキがうまく機能しないことがわかります。また、少しずつ小さな問題も見えてきます。結果、自動車用ジャッキは、車を持ち上げるためではなく、より崇高なものを持ち上げるために使われることになるのです。殺人の段階へと向かう目的のために、ジャッキが使われる。このようにして、最初の殺人事件が起こり、その後の挿話へと繋がっていくのです。

二度目の上昇において、もしくは二度目の下降において問題となるのは、即興性です。私たちはすでに、連続殺人のシステムの中にあります。つまり、連続性の秩序がすでに確立されているのです。連続性のシステムの中で、主要な要素となるのは、時間制です。つまり、時間を支配しなければならない。そして、時間を利用しなければならない。利用される時間とは、持続としての時間ではなく瞬間です。ジャックが女性の家を訪れ、自らをセールスマンだと偽るところから、全ての瞬間は即興で行われなければいけなくなるのです。初めの殺人から、全ての事件は、ありとあらゆる瞬間を自らに奉仕させるためにあるのです。別の言い方をするならば、支配の構造である時間的持続の中で演じることではありません。教養のある人とは自身の力が及ぶ範囲を理解しているものです。自分の納得のいくように、新たに価値を与え、自ら利用し、再利用し、再修正を加えるのは、常に瞬間なのです。要するに、二つ目の部分においては、時間性が問題となるのです。時間の支配者となるために、いかにして殺人者になるために時間を用いるかが問われているのです。  〈次号につづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテーク・ブルゴーニュ)
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