昭和十八年幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ 書評|澤宮 優(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年11月18日 / 新聞掲載日:2016年11月18日(第3165号)

昭和十八年幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ 書評
日本人の琴線に触れる 「戦勝祈願」「鍛錬」を謳い開催された箱根駅伝

昭和十八年幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ
出版社:河出書房新社
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毎年1月2日、3日に行われる箱根駅伝は、大学チームによる地方駅伝にすぎないものの、応援するファンは全国に及んで、今ではお正月に欠かせぬ国民注視の大イベントだ。「新しい“山の神”が現れた」などと盛り上がる。

平成29年(2017)の大会は第93回になる。最初の箱根駅伝は大正9年(1920)。以来、毎年開催されていれば、当然第98回になるはずだが、回数が合わないのは、戦中戦後にかけ不開催の年があるため。中には「幻の箱根駅伝」と呼ばれ、正式大会としてしばらくは認められなかった大会もある。

本書は、その「幻の箱根駅伝」に焦点を当てる。昭和18年1月5日、6日に行われた「靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」がそれである。じつは従来の箱根駅伝は、昭和15年の21回大会を最後に中止されている。「時局をわきまえろ」という陸軍などの意向も当然あったとされる。代わりに行われたのが2度の「青梅駅伝」。

しかし、修学年限の短縮や、文科系・農学系学生への徴兵猶予の停止(いわゆる学徒出陣)が矢継ぎ早に打ち出される時代である。卒業すれば、そのまま兵役につく学生は多い。「死ぬ前にもう1度、伝統の箱根を走ってみたい」。そんな思いが陸上学生たちの胸の内に募る。やがてその願いは、陸軍や文部省へのほとんど無手勝流の請願交渉となって動き出す。その際、奥の手として使われたのが、「戦勝祈願」「鍛錬」を謳うこと。コースがいつもと異なり、「靖国神社・箱根神社間」に設定されたのはそのせいである。

その大会以降、箱根駅伝は戦後の昭和22年大会まで、再び中止される。再開後、18年大会のスローガンが「戦勝祈願」だったことをGHQに憚ったりして、結果的に「幻の大会」として番号を飛ばされるとは、当時のだれが知り得たろうか。18年大会が第22回駅伝として正式に認められたのは、ようやく昭和35年になってからである(34年の35回大会プログラムでは青梅駅伝が22回大会とされている)。

それにしても当時の選手、遺族、関係者らへのインタビュー、残された日記や遺稿、さまざまな公式記録などを利用して、著者によりていねいに再構成された昭和18年1月5日、6日の箱根路の力走光景は、まるで今日、テレビ画面で目の当たりにする選手たちの必死の息づかいと、なんら異ならない。違うのは、長距離選手らしからぬ体格の選手が散見されたこと(多くの陸上選手がすでに入営し、他種目の選手や一般学生までかき集めたチームのため)。ゴールに入る選手を、他チームの選手たちまでが一緒に出迎えたこと。伴走は(山登り区を除いて)自転車で、中には東京から小田原まで一人で漕ぎつづけた猛者もいたこと。そして大会後に入営する選手が少なくなかったこと……。

駅伝の特徴は、なんといっても「個人競技にして集団競技」という二重性にある。己を極めることと、集団に貢献することとがなんら矛盾しない点が、ひときわ日本人の琴線に触れるらしい。「幻の箱根駅伝」には確かにそんな特質が集約的に現れていたようだ。
この記事の中でご紹介した本
昭和十八年幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ/河出書房新社
昭和十八年幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ
著 者:澤宮 優
出版社:河出書房新社
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