デカルト・ポリティコ  政治的存在論について 書評|アントニオ・ネグリ(青土社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年8月24日 / 新聞掲載日:2019年8月23日(第3303号)

デカルト・ポリティコ  政治的存在論について 書評
情熱と才気あふれるデカルト研究
これまでのネグリのイメージに再考を促す

デカルト・ポリティコ  政治的存在論について
著 者:アントニオ・ネグリ
翻訳者:中村 勝巳、津崎 良典
出版社:青土社
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本書のタイトルから林達夫氏の「デカルトのポリティーク」(一九三九)を想起する方もおられるだろう。氏はデカルトが自著『哲学原理』フランス語訳版(一六四七)に付した序文には、当時なお権勢をふるっていたスコラの頑迷固陋への落胆が記録されていると述べている。曰く、教会による地動説の提唱者ガリレオ迫害を受け、デカルトは物理法則を適用して宇宙の創生を自然科学的に説いた自著『世界論』(一六三三)の刊行を断念した。哲学改革の必要性を痛感した彼は、いつか自然科学が学問として受け容れられる日の到来を期待し、スコラの流儀を踏襲した〝教科書〟として、己の哲学を説く『哲学原理』(一六四四)を執筆した(この面従腹背的な挙措を林氏は「デカルトのポリティーク」と呼ぶ)。しかしその後もスコラの権勢は依然、衰えなかったため、同書フランス語訳版序文には時代への失望が記されている――以上が「デカルトのポリティーク」のあらましである。氏が同テキストを発表した年、第二次世界大戦が始まる。氏自身の、デカルトに託した或る種の〈政治〉がここにある。

ネグリはどうだろうか。「分別のあるイデオロギーについて」という副題を付した本書(日本語訳版では「政治的存在論について」となっている)刊行が一九七〇年。「訳者あとがき」によると、本書の功績によって、ネグリはパドヴァ大学正教員になる。その前年、彼は労働者組織〈ポテーレ・オペライオ〉を創設している。マルクス主義活動家と哲学者。どちらがほんとうの顔なのかという問いは的を外している。「訳者あとがき」でも指摘されている通り、彼のデカルトに関する先行研究文献への註釈は徹底しており、その分量(本書「原注」部分)は本文の半分以上に及ぶ。それゆえ本書は、アカデミズム(今日のスコラ?)におけるデカルトの〈左〉への奪取――〈赤色デカルト〉の誕生――の記録であると考えるべきだろう。イデオロギーの戦争である。後に少し見るように、ネグリ自身と同様、彼にとってのデカルトも、「訳者あとがき」の言葉を借りれば「仮面をつけた哲学者」ではない。その点、林氏のデカルト把握と微妙に異なるかもしれない。いずれにせよデカルトは、政治的過渡期を生きる学者にとって、重要な参照項の一人である。
「分別のあるイデオロギー」とは、ルネサンス期人文主義の流れを汲む西欧市民階級の思想を指す。市民階級の自然発生的な社会的活動に、王政や宗教権力を凌駕して、市民が主体的に政治を担いうる潜勢力を見てとったデカルトは、その力に対応した学知を構成する。一六四六年六月十五日付シャニュ宛書簡で、デカルトはこう述べている。「生命を維持する方法を見つける代わりに、わたしは他の、より簡単で確実な方法をひとつ見出しました。つまり、死を恐れないということです」(五七頁)。「死を恐れない」――この言葉をネグリは、人間による生命の不死への自覚と、それに基づいた学知によって、人間は死を克服することができるというデカルトのプロメテウス的確信を示すものと解している。(悪?)名高い生産力の理論――だが市民階級は絶対王制に敗北した。革命的潜勢力は抑え込まれた。市民社会の本質は顕在化されず、ただ存在することのみを強いられる。急進的な市民社会の理念はノスタルジーとして、今や記憶の中にしかない。生産力の理論は封印される。この危機をデカルトは凌がなければならない。「よく身を隠した者こそ、よく生きた者である」――これが「分別のあるイデオロギー」である。

だがそれは諦念ではない。政治は消えていない。「デカルトはこうしたことをすべて心に留めながら、敗北を認めつつも希望を諦めることを拒否したのである。生き延びる必要があるのだ。たとえ革命が終焉したとしても、陣地戦が始まるのだ」(一一三頁)。この危機の中、イデオロギーそのものであり続けることにおいて、市民階級の本質を外に示し続けること。「機械論的な学知の受動性にイデオロギーの生産性を上書きするにあたって、かれは時代に自らの営みの特殊性を明確にさせるに至った。その時代とはすなわち分離状態にある存在であることを余儀なくされた市民階級が、自らの本質を救い出し発展させ刻印すべき場としての世界である。しかし希望以外にどのような道があり得るか。イデオロギーの姿をとる以外にどのような希望があろうか」(一八一頁)。選択の余地がないという意味で、この希望は異例である。イデオロギーであることを自覚した希望、イデオロギーでしかない希望において、デカルトは市民階級の本質を示し続ける。というよりはむしろ、彼に呼びかけたのは市民階級の方である。生産力の自発性が理論という組織化に呼びかけたのである。イデオロギーが呼びかけたのではない。時代がイデオロギーに呼びかけたのである。「市民階級が登場した際の自然発生性が、デカルトのなかに組織化の核心を探したのであり、探さなければならなかったのである」(二〇六頁)。ルカーチの階級組織論は、ここで異例と化している。一九七〇年が一六四七年と共振する。ここでは詳細を説かないが、以上をふまえ、林氏とは異なる仕方で『哲学原理』フランス語版序文を読解するネグリの行論(二三九頁以降)が、本書の白眉の一つである。

他にも「われ思う、ゆえにわれあり」の急進的な読解や、後の『マルクスを超えるマルクス』で展開される〈分離〉の論理の萌芽が見いだされたりと、本書には興味深い論点がいくつもある。本書は、ネグリと言えばスピノザ、というイメージに再考を促す、科学と政治を切り離さない、今日の〝スコラ〟を震撼させる、情熱と才気あふれるデカルト研究である。
この記事の中でご紹介した本
デカルト・ポリティコ  政治的存在論について/青土社
デカルト・ポリティコ  政治的存在論について
著 者:アントニオ・ネグリ
翻訳者:中村 勝巳、津崎 良典
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
「デカルト・ポリティコ  政治的存在論について」出版社のホームページはこちら
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