薄明のサウダージ 書評|野村 喜和夫(書肆山田 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年8月24日 / 新聞掲載日:2019年8月23日(第3303号)

薄明のサウダージ 書評
「犬と狼のあいだ」を探る
繰り広げられる散文の駆け引き

薄明のサウダージ
著 者:野村 喜和夫
出版社:書肆山田
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フランス語で entre chien et loup と言えば、熟語としては「黄昏時」を意味するが、そのまま直訳すれば「犬と狼のあいだ」となる。すなわち文明と野生のあいだ、理性と本能のあいだ、日常と夢想のあいだ――等々、様々な対立物たちがいつの間にか落ち合う場所が黄昏だとすれば、この詩集のページ上にひろがる「薄明」はそんな領域であるらしい。

それにしても、このひろがりはなんと不思議な魅惑に満ちていることか。詩集巻頭に収められた表題の連作「薄明のサウダージ」中では、「巨きな魚」、「模造の象」、「玉乗りの女曲芸師」、「さへづりを忘れた鳥」、「空中の人」などが、一つまた一つと浮かんでくる水泡のように現れる。まるで奇想の「サアカス」だ。ただし演者たちはいつもなにかを欠損しているので、その姿はどこかコミカルでもあれば、物悲しくもある。連作中で語り手がシェイクスピアの『マクベス』にあやかりつつ述べているように、彼らは「消えろ消えろ」という声に抗おうともせずに、「ほんの自分の出番のときだけ舞台のうへで見得を切つた」かと思うと、あとは素直に「消えてなくなる」運命に身を委ねていく。

そんな中でも、おそらくもっとも記憶に残る演者は「薄明」そのものだろう。たとえば作品「(遠いオレンヂ)」中では、それは文字通り「遠いオレンヂ」と呼ばれる。「果実は時と混じりあひ」という詩行からも察せられるように、それはオレンジと呼ばれる果実であると同時に、夕焼け空がオレンジ色に染まる黄昏時でもある。いや、あるいはそのどちらのイメージによっても捉えきれない遠さこそが、まさに勘所なのかもしれない。だから私たちは、次のような断言もまた耳にすることになるのである――「遠いオレンヂは/遠いオレンヂとしかいゝやうがない」。

このようにいとも軽やかに分析の彼方へと到達できてしまうのは、やはり野村喜和夫の行分け詩が本質的に韻文の律動を宿しているからだろう。だが興味深いことに、この詩集はそれだけでは終わらない。巻頭に収められていた連作の散文ヴァージョンとも呼ぶべき「薄明のサウダージ異文状片」なる連作が、なんと巻末に収められているからだ。したがって私たちは、その連作中で散文化した作品「(遠いオレンヂ)」に改めて出くわし、次のようなくだりを目撃する――「遠いオレンヂ、ときみは言ふ。さう、遠いオレンヂ、と私も応じる。そのめくるめくやうな周縁、筆舌に尽くしがたい中心、そしてそれらをつなぐかぎりなく静かな騒擾……」。この「静かな騒擾」に耳を傾けるとしたら、やはりあの「犬と狼のあいだ」でそうする他あるまい。ならば果たして韻文と散文は、そこでどんな駆け引きを繰り広げるのか? もちろんその答は、我知らず薄明へと迷い込む私たちの一人一人に委ねられている。
この記事の中でご紹介した本
薄明のサウダージ/書肆山田
薄明のサウダージ
著 者:野村 喜和夫
出版社:書肆山田
以下のオンライン書店でご購入できます
「薄明のサウダージ」出版社のホームページはこちら
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