高見順 寄稿  戦争責任の再検討 ――人間の責任所在の問題として 『週刊読書人』1959(昭和34)年1月19日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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  5. 高見順 寄稿  戦争責任の再検討 ――人間の責任所在の問題として 『週刊読書人』1959(昭和34)年1月19日号 1面掲載
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更新日:2019年8月25日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第256号)

高見順 寄稿
戦争責任の再検討 ――人間の責任所在の問題として
『週刊読書人』1959(昭和34)年1月19日号 1面掲載

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第2回
現在の戦争責任論への疑問

高見 順氏
戦争裁判は、たしかに疑問の多いものだ。しかし、裁判そのものへの疑問が、戦犯というものへの疑問となってくることには、疑問がある。一方的な戦犯裁判というものを否定する気持から、やがて、戦犯などというものは、ほんとはありえないのだという考え方がひき出されてくることには、疑問がある。過去の戦犯裁判が規定した戦犯というものには、疑問があるが、だからといって、戦犯というものを全く否定していいかどうか。これは戦争責任の問題ともつながっている。

過去の戦犯裁判には疑問があるように、今までの戦争責任論には疑問がある。と言って、私は戦争責任などというものはありえないとまでは考えられない。だが、今までのような戦争責任論では、勝者による戦犯裁判に似た一方的な告発であって、あれでは、ほんとの問題解釈にならないと考える。

戦争責任から自分はまぬがれていると考えている人々が、誰それには戦争責任があると糾弾する。これが今までの戦争責任論であった。これは戦争責任者の摘発であっても、戦争責任そのものの解明にはならない。そしてそのほんとうの解明がいまだに、なされてないのである。私にはその解明があくまで必要であると考えられる。今ごろになって、戦争責任などといい出すのを、人はあやしむかもしれないけど、直接の動機は、今度創刊された雑誌「思想の科学」で鶴見俊輔氏の「戦争責任の問題」を私が読んだことにあるのだが、私自身、このところ、自分の戦争責任ということについて、いろいろと考えるところがあったからである。自分の過去を考えるということは、現在の言動の責任を考えるということである。一般的そういうことを考えさせられる問題が(自分のというより、外部のそれが)このところ、多く出てきたためにそれを自己の問題として私は考えたいし、そうなると、自己の責任の問題としてはもっとも重大な、過去の戦争責任の問題を、やはり曖昧にしておくことなく、はっきり究明する必要があると考えたのである。そしてこれを私の問題というより、一般的な問題としたいし、すべきであると考えたのである。
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