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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年9月2日 / 新聞掲載日:2019年8月30日(第3304号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(21)

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パチンコ店に取材した「街に戦場あり」の「親指無宿」編が載った号の「アサヒグラフ」の表紙は、サルトルとボーヴォワールの写真だった。講演会が始まる前の日比谷公会堂の控え室。サルトルはたばこを手にして部屋の隅を見つめ、横向きのボーヴォワールは口紅を唇にあてて化粧直しをしている。「招かれた思想台風」という特集文字が写真に並んで強調されていた。

1966年9月、二人は慶応大学と人文書院の招待で来日して、三回(慶応大、日比谷公会堂、京都会館)の講演会をこなし、憧れのジャポンに旅して触れて帰った。東京から京都、奈良、志摩、高野山、大阪、神戸、瀬戸内を巡航して九州へ渡り、広島をめぐって東京へという28日間の行程だった。

しばしその表紙を見つめていた中平さんが、「サルトルって好き?」と言った。生半可にしか知らない私は答えに窮する。すると、「あなたはサルトル派? カミュ派?」と、答えやすいようにか選択肢をくれた。私はムキになって「カミュ派にきまってるじゃないですか」と返答。カミュとサルトルの論争、「革命か反抗か」を野次馬の関心で読んでいた頃だ。思い込みも軽率で、私の中のカミュ像は思想権力(サルトル)に対峙する「レジスタンス」になっていたのだ。
「ぼくも絶対カミュだね。矛盾だらけだとサルトルはカミュを指弾するけど、だからこそカミュだよね」と、中平さんは笑いをこらえながら言った。

ああこの含み笑いはあれを思っているからだなと、私も可笑しくなった。

中平さんは(私もだが)、アメリカ生まれでのちにアイルランドに帰化した変わり者の作家ドンレヴィーが書いたピカレスク風小説『赤毛の男』にはまっていて、その中のダブリンに住む男「セバスチャン・デンジャーフィールド」という主人公にかぶれている最中だった。

投げやりで無鉄砲で無責任で、脈絡のない間の抜けた生活を送る破天荒な男が口にだす会話のすべてが、目からウロコの快哉をもたらしてくれる。デンジャーフィールドになった気分でいると、世間の「真面目」がすべて諧謔的に見えてくる痛快さだった。

案の定中平さんは、「デンジャーフィールドならどう言うだろうね、この表紙を見て」と、サルトルの本が世界で最も多く読まれている日本への皮肉を期待するように笑って言った。そう言いながら頁を繰っていたが、「街に戦場あり」のところは確かめもせずに閉じてしまう。そして、「誰か精神科医をお父さんにもっているような友だちはいないかな?」と、話題を変えた。

どうしてですか? と聞くと、「街に戦場あり」の合間を縫って中平さんは千葉にある医療施設にかよっていたのだと言う。

いまは「下総精神医療センター」と改組されているが、当時は「国立下総療養所」という名称の精神医療施設である。「精神分裂病」と呼ばれていた「統合失調症」のケアをする部門に入所している人々の日常生活を、つぶさに見せてもらっていたらしいのだ。中平さんはその体験から得た実感を熱心に長く話した。

「白い風景」と題してまとめた写真は淡々と対象を見つめる視線で終始している。それは中平さんが抱いたその世界への畏怖を想像させた。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)  (次号へつづく)
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