身体の黒魔術・言語の白魔術 メルロ=ポンティにおける言語と実存 書評|佐野 泰之(ナカニシヤ出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年8月31日 / 新聞掲載日:2019年8月30日(第3304号)

身体の黒魔術・言語の白魔術 メルロ=ポンティにおける言語と実存 書評
見事な出来ばえの研究書
衰えぬメルロ=ポンティ人気

身体の黒魔術・言語の白魔術 メルロ=ポンティにおける言語と実存
著 者:佐野 泰之
出版社:ナカニシヤ出版
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先日、メルロ=ポンティの『コレージュ・ド・フランス講義草稿』が邦訳され、本紙に書評を寄稿した矢先、今度は彼の研究書も刊行されることになった。どうやらメルロ人気は、まだまだ衰えそうもない。急ぎ本書にも目を通してみたが、これがまた一読三嘆、なんとも見事な出来ばえなのだ。

全体は大きく二部構成になっており、第一部ではメルロ=ポンティ哲学全体の形成過程がたどられるが、単なる総覧的なものではなく、『行動の構造』における「ゲシュタルト」―「地」―「統合」の線を押さえ、それを『知覚の現象学』における「領野」―「身体」―「時間」―「語る言葉」の線に重ね、そこから晩年の作品における「裂開」―「スタイル」―「肉」へと繋げていこうとする著者の周到な選択眼が看てとれる。

第二部では、二〇一三年にザッカレロとサントベールによって校訂・出版されながら、未だ邦訳されていないメルロ=ポンティの遺稿、『言語の文学的用法の研究』を下敷きにして、ヴァレリーとスタンダールをめぐるメルロの文学論が展開されている。著者による筋書きはこうだ。二人の作家は「ともにその人生の中で、意識と自然、精神と身体、対自と対他、あるいは知性と感性といった多様な諸契機への実存の分裂とでも呼びうるような問題に直面していた。彼らは当時、知性の徹底的な行使、あるいは感性への徹底的な沈潜によってその葛藤を乗り越えようとしたが、その試みは分裂をますます鋭いものにするばかりで、解決には至らなかった。むしろ、最終的に彼らの葛藤に解決をもたらしたのは、互いに分裂した諸契機を調停する特殊な言語実践としての文学である」(二三六ページ)。

この言語実践は、ヴァレリーに「錯綜体」を飼い慣らすすべを教え、スタンダールには「行為の生成相に身を置き」「未来の読者をつくり出す」よう誘うものとなる。つまるところ『知覚の現象学』における身体の役割が、ここでは言語へと拡大され、ついにこの第二部の文学論には、第一部の哲学的な全パースペクティヴが、そっくりそのまま巻き込まれるよう仕組まれてもいるのである。身体が巧まずして物事を成就させてくれるのは黒魔術、言語がすべてを分節化し、見えるようにしてくれるのが白魔術。ともにたゆまぬ訓練が、いつしか当事者に一つの新たな器官をもたらしてくれる、というのがそのストーリーになっている。

それにしても、「博士論文を大幅に改稿し、書籍化した」という本書だが、「メルロ=ポンティにとってヴァレリーとスタンダールの生涯とは、言葉による〈自己形成(Bildung)〉の物語なのである」と記した著者にとってもまた、この執筆そのものが、かけがえのないビルドゥングスロマンとなり、彼に新たな器官をもたらしているのに違いない。
この記事の中でご紹介した本
身体の黒魔術・言語の白魔術 メルロ=ポンティにおける言語と実存/ナカニシヤ出版
身体の黒魔術・言語の白魔術 メルロ=ポンティにおける言語と実存
著 者:佐野 泰之
出版社:ナカニシヤ出版
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