文学とセクシュアリティ 現代に読む『源氏物語』 書評|小原 眞紀子(金魚屋プレス日本版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年8月31日 / 新聞掲載日:2019年8月30日(第3304号)

文学とセクシュアリティ 現代に読む『源氏物語』 書評
『源氏物語』、女性性、近代
―創見に満ちた講義―

文学とセクシュアリティ 現代に読む『源氏物語』
著 者:小原 眞紀子
出版社:金魚屋プレス日本版
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『源氏物語』とフェミニズム。平安中期の歴史的傑作をこの観点から読むというのは、一九九〇年代においては、主人公と女性たちの関係をもっぱら前者の後者に対する抑圧の相のもとに、さらにいえば「レイプ」の実践として理解し、その告発こそを「紫式部のメッセージ」(駒沢喜美)とみなすことに帰結する傾向があった。しかし木村朗子『女子大で『源氏物語』を読む』(青土社、二〇一六年)は、フェミニストの立場から、「『源氏物語』はレイプ小説ではない」と断定する。そして、こうした理解がなされたのは、当時の日本のフェミニズムがドウォーキン、マッキノンらのアンチ・ポルノ論から時季外れの影響を被っていたためにすぎないとして、バトラー『ジェンダー・トラブル』(原著一九九〇年)以後の理論的展開を経た今日での無効性を宣言するのである。けれども、少なくとも、著者が同時に採用するいわば多文化主義的な正当化の論理は――「今の価値観をあてはめて批判してもはじまらない、というのは国際関係学科でさまざまに価値観の異なる国々について勉強している皆さんには直感的にわかりますよね」――、同書所収の学生たちのコメントを見る限り(「レイプとしての一面もあるのではないか」、「源氏は刺されてもおかしくない」)、その説得力に一定の限界があるということになりそうだ。フェミニストによる近代以前の研究ということで比較するなら、アーサー王伝説を取り巻くモルガン・ル・フェーら「危険な女たち」の研究で知られるキャロライン・ラリントンは、二〇一〇年代を代表する文化現象に取り組んで国際的反響を得た著作『『ゲーム・オブ・スローンズ』の中世世界』(二〇一五年)において、「世界のどこでも少女は傷つけられるもの」というあのサーセイの言葉(S4E5)を引きつつ、ヨーロッパ中世(と『GOT』の世界)の貴人女性の婚姻に際しての「行為者性の欠如」を指摘し、「婚姻の夜にサンサに加えられたレイプは、中世の花嫁たち多くの運命だったに違いない」とすら認めて、女性たちの過酷な現実と不安定な立場を前提に議論を展開している。

さて、こうした文脈との関係でいうなら、やはり大学での講義に基づく小原眞紀子『文学とセクシュアリティ』は、至るところに散りばめられたフェミニズムへの「偏見」(10回)にもかかわらず、むしろ前世紀末以来のフェミニズムにおいて主題化された女性たちの「エイジェンシー」の探究に多少とも呼応する、創見に満ちた『源氏物語』読解の試みとして読むことができる。「須磨」・「明石」という「海の巻」に描かれる籠居の日々の経験を論じる詩人は、何よりマルグリット・デュラスの海のイメージを、しかしまたシェイクスピアの『テンペスト』をも参照しつつ、そこに既成の身分秩序を宙づりにし構造の再編を促す一契機を認める(10・11回)。そして「宇治十帖」に至るまでの全巻をたどりながら、男性支配的な社会構造の内部に身を置きつつもそれを相対化し、撹乱し、たとえ一時的にであっても転覆させる女性たちの生を照らし出していく。

髭黒の「横暴」が玉鬘のうちに目覚めさせる「理不尽」の感覚が「現代の私たちと変わらない」ものであることを確認し(22回)、夕霧の愛人関係の記述のうちに「女性としての時代を超えた批判意識、作者による冷徹な相対化」(24回)を見定める著者は、「源氏も男であり、それゆえの愚かしさをさんざん露呈する」として、同じ批判意識が主人公自身にも向けられていることを強調する(同)。それでも光源氏が例外的な形象たりえているのは、階級横断的な「感受性の柔らかさ、幅の広さ」(4回)を、また「本源的」というべき「女性性への感受性」(24回)を備えているからであって、こうして彼は「男性性に象徴される制度構造の頂点」を体現しながらも、当の「制度構造を揺さぶる女たちの女性性=私性」へと身を開いていく(2回)。この作品は何より、女性作者によるひとつの「女性総論」(5回)にほかならず、主人公は実のところ、彼女たちの魅力を読者に伝えるための媒介にすぎない。その意味で、「『源氏物語』は文学構造的に極めて「フェミニズム的」なもの」なのだと小原眞紀子はいう(12回)。

とはいえ源氏は、単なる媒介には還元しえない存在であった。また紫の上も、「現世における最も美しい観念の象徴」(30回)たりうる例外的な存在であった。そんな二人の亡き後、次世代の凡庸な男女は、相手が置き換え可能な存在にすぎないという「絶対的な絶望感を共有」しながらもなお、互いを求め続けるだろう。「単なるくだらない浮気男」にすぎない男性を観念化することで、江國香織のヒロインは、自分が世界を把握するための抽象的な核のような何かを手に入れる。金井美恵子の初期作品にも見出されるこうした操作と類比的なやり方で、大姫は「ただの男」にすぎない薫を肉体的に受け入れないことで幻滅を遠ざけ、「永遠の関係」を成就しえた(35回)。しかし薫の側から見るならこの大姫は、当初求めていた仏を「形而下的に」格下げした存在であるにすぎない。彼女の死後、彼は「さらに現世的な中姫」に関心を移し(36回)、やがては浮舟という「人型」へと向かう(38回)。詩人は、この凡庸な少女こそは「源氏物語で唯一の近代的な女主人公」(39回)であるとして、死の境から帰還して手習をする彼女のうちに、「現世のうちに留まりながら、しかし彼岸をも射程に入れようとする」、そんな「文学者の姿」を認めさえする(41回)。際立って充実したこれら「宇治十帖」をめぐる記述を始め、世界の文学(や映画)を自由自在に参照しつつ展開される本書は、前近代にあってすでに近代的であり、さらには近代の枠組みを懐疑しているようにすら見える『源氏物語』という謎を再発見するようにと、読む者みなを促さずにはいない。
この記事の中でご紹介した本
文学とセクシュアリティ 現代に読む『源氏物語』/金魚屋プレス日本版
文学とセクシュアリティ 現代に読む『源氏物語』
著 者:小原 眞紀子
出版社:金魚屋プレス日本版
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